窓ふき職人への道

新卒で就職した会社で働いて、あっという間にもうすぐ1年が経とうとしていた。

に乗っていたため大学は卒業が半年遅れ、9月に卒業式も何もなくぬるっと大学時代を過ごした関西を去り、長野の北アルプスの山小屋で働いて、そのお金で中南米で4ヶ月バックパックに出かけた。その旅から戻って3週間後、真っ黒に日焼けした状態での入社式だった。

旅をしていると、毎日新しい場所で新しい人と出会う。今日はどの街で眠ろうか、と考えながら過ごす日々から一変。毎日同じ時間に起きて、同じようなジャケットを羽織って、同じ電車に乗り、同じオフィスへ。最初の方は、私そんなことできるかしら、と不安だったが、自分の適応能力に驚く。始めてみると案外その生活にもあっという間に慣れ、なんの違和感も感じることなくせっせと通勤し、働いていた。ある意味で、会社で仕事をする毎日、そこで出会う人々や文化、これは私にとって旅行とそんなに変わらなかったのだと思う。つまり、企業に勤める毎日やそこで出会う人々は私の想像を絶する異文化であり、そんな異文化に自分も混ざって生活する感覚は、16歳で初めてスイスに留学した時の感覚とすごく似ていたのである。

私の会社のオフィスの会議室は、全て世界各国の都市の名前がついていた。これは今思うと少し滑稽で、「10分後にジュネーブで会いましょう」とか「今日の会議は、カサブランカだったっけ?」なんて会話が毎日飛び交った。中でも私のお気に入りはフィレンツェで、プロジェクトチームの仲間とよくフィレンツェにたむろしていたのだ。

その日も、いつものように、フィレンツェで仕事をしていた。その日はまだ他のメンバーは出社しておらず、朝の日差しが差し込む明るい窓のすぐ横の席で、私一人、黙々とパソコンに向かっていた。

唐突に、部屋が陰った。反射的に窓を見ると、そこに、男が一人。目があった。そのとき私は、雷撃たれたようにような、恋に落ちたような、なんとも形容しにくい不安な気持ちになった。胸がザワザワする。この気持ちは何?あの男は誰?そんなことを考えているうちに、彼はツルツルっと窓を掃除し、ウィーンと、下へ下へとフェードアウトしていってしまったのだった。

そこで私は思い出した。小さい時から、高いところに憧れていたことを。3歳の将来の夢は、キリンだった。首が長ければ、遠くがよく見えるはず。それならいつでもどこでも大好きな富士山がよく見えるはず、と。小学生の時、姉や姉の友達といつも訪れていた公園でも、公園で一番高い木の一番天辺まで登るのが一番好きだった。そういえば成人式の時の写真撮影でも、お気に入りの写真の一つは、振り返りながら斜め上を向いているショットだったが、あのとき、撮影場所の公園の崖で、落石防止のための金属網の整備作業が行われていて、崖の上から命綱でぶら下がっている人たちがあの写真の目線の先に居たのだった。

「これだ!」と私は思った。その時にはもう、パソコン画面上で「副業申請書」を開いていた。

せっかく憧れの高層ビル窓拭きの仕事をするなら、今しかない。元々田舎が好きで、いつまでも東京にいる予定は無いし、今ならそんな東京にも通える範囲に住んでおり、おまけに定期券まである。きっと体力もそれなりに必要だから、早いほうがいい。昼休みになって早速調べると、たくさんの窓拭き請負会社が出てきた。週2回からでもOK。初心者歓迎。せっかくなら、できるだけ高い方が良い、と思った。もちろん、給料ではなくて、登れる場所のことだ。

数日後、定時に仕事を終えたその足で、四つ谷に向かった。東京スカイツリーの窓掃除をする会社がアルバイトを募集しているのを見つけたのだ。面接を担当した彼は、私の履歴書に目を通しながら、第一声「まぁ、人手不足ですからね、週に1回でも大丈夫ですよ」と言った。「ちなみにどうして応募しようと思ったんですか?」と聞かれたので、私の熱い思いを語った。すると、「結構、そういう人、多いんですよ」とあっさり言われたので、そんなもんか、と逆に少し恥ずかしくなったのだった。

トントンと話が進み、勤め先からもお許しが出、あっという間に晴れて窓ふき修行の第一日目。場所は、毎日通う東京駅の目の前の毎日通り過ぎる商業施設の建物であった。

ちなみに、年季が入ると、リーダーとしてどこかの建物の担当者になることがあるが、そうでない限り大抵はその日ごとに違うビルへ掃除をしに行く。前日になると、翌日出勤希望のメンバーのうち、誰がどこを掃除するかとそれぞれ何時集合かがメールで送られてくる仕組みだ。掃除の頻度は、ビルの用途や、ロケーションなどによってかなりばらつきがある。商業施設なんかだと、ショーウィンドーや自動扉、子供が触りやすい箇所など2、3日に1回ほど磨くこともあるし、オフィスビルなら、特に海風などなければ半年に1度ローテーションで回ってくるように計画して掃除をすることもある。ほとんどの大きなビルにはゴンドラが何機かついているが、ゴンドラで届かない場所やビルの内部は、ブランコと言って安全帯で宙吊りになって掃除したり、10mくらいの長い梯子を使ったり、または掃除道具の取っ手を延長し綺麗にしたりする。

そして弟子入りの登竜門は、「下張り」である。これは、ゴンドラなどで高いところを清掃している時に、ゴンドラの真下や、または風によって水滴が落ちてきやすい場所があればそこにカラーコーンと黄色と黒のトラ棒を張り巡らせて人が通らないようにしたり、万が一何かが落ちてくるようなことや事故があったときに備えた言わば見張り役である。

出勤初日、いつもと同じ電車に乗り、いつもと同じ駅で降りる。ただし土曜日、そしてまだ朝日が登り始めるくらいの早朝である。ドキドキしながら仕事現場へ向かうが、入口がわからない。電話をしてやっとリーダーに迎えに来てもらい、目の前に広がるのは、なんと驚くべき地下帝国であった。そこには、数えきれないほどの洗濯機があったり、数えきれないほどの雑巾が干してあったり、兵馬俑かと思うほどに大量に掃除機が陳列してあったり。高いところが見たくて始めた窓拭きで、まさかこんなにエキサイティングな地下帝国がお目にかかれるなんて。

感動しているのも束の間、午前中は商業施設が開く前の時間でまだ人も少ないため、自動ドア周りから始めることになった。私は真新しい道具を携えて、重い地下帝国の金属扉を押して、いざ地上へ。道具の使い方を教えてもらい、やってみるものの、これが難しい。一滴も水の筋が残らないように八の字で一筆書きでかっぱぐ(水切りのことをこう呼ぶ)必要があるが、これがなかなか難しい。一度慣れたと思っても、ガラスの幅が少しでも違うともう上手くいかないし、高いところに背伸びをしながらかっぱぎ始め、一筆書きでしゃがみ始める頃になって力加減が変わると、水筋が残りやすくなる。最初は、先輩たちが5、6枚のガラスをスイスイ磨き上げる間にやっと1枚がまぁまぁ綺麗になるという調子で、心底焦った。

そんなこんなであっという間に昼休憩、そして午後からはゴンドラ作業ということで、私はまず屋上に上がって、ゴンドラの電源を入れる作業の手伝い、そしてその後一人下張りをすることになった。屋上はスカッと晴れて、冷たい空気で、気持ちよかった。屋上には、ビル中の換気扇やら何やらが集まっており、管だらけ。排気口ごとに違う食べ物の匂いがして、どの店のキッチンか当てるのは意外と難しくない。何十メートルもある重たいコードを伸ばして、レールに乗ったゴンドラを移動させ始める、というところで私は下張りの準備へ。地下で迷子になりながら必要な道具を用意して、カラーコーンを置いてトランシーバーのスイッチを入れる。

そこからは、かなりのんびり、風向きを確認しながらうろうろと、水滴の落ち具合を調べる。だいぶ下まで降りてきたら、やっと窓拭きの様子がわかるので、午前に習ったおさらいで一緒になって空中で手を動かしてみる。途中、通り掛かった小学校低学年くらいの子供に、「お姉さんも登るの?かっこいい!」と言われて、「まだ、練習中だけどね。」なんて自慢げに答えて、その日は午後3時頃には、初出勤が終了した。

それから、しばらく、毎週土曜日には東京で修行をする日々が始まったのであった。やっと上手に拭けるようになっても、スピードは10年20年と経験の長い先輩職人と比べたらまだ三分の一ほどである。ゴンドラは一緒に乗ると横並びで3、4人同じスピードで掃除して移動していく必要があるため、私を乗せるとみんなを待たせることになってしまう。家や友達の家の窓で練習するものの、週に1回の勤務ではなかなか上達せず、毎週土曜日ほとんど下張り屋になっていた。それでも、東京の普段行かないところへあっちこっち行ったり、普通はなかなか入れないビルの作業用通路や地下や屋上を見物できるのは楽しかった。風が強くゴンドラ作業ができない場合は、オフィスビルの内側を清掃することもあり、どこかの会社の社長室だったり、平日の仕事のクライアント先の窓を磨くことになってスパイ気分を味わったり(もちろん見るのは窓の綺麗さだけだが)、それもそれで充実していた。そして何より私が楽しみにしていたのは、この仕事をする個性豊かな仲間たちとの交流であった。私は、初めて会う人がいると、インタビューアーのように、いつから、どうして、どんなきっかけで仕事を始めたのか、他にどのような仕事をしていたのか、など色々質問攻めにしていたが、共通していて感動したのが、みんなこの仕事がすごく好きだということである。

正直、私が平日にしていた仕事はすごく良いお給料だった。もちろん窓ふき職人も、経験が増えて上手になればもちろん時給は上がっていくが、どちらかといえば肉体労働だし、国内で年に1人くらいは事故で亡くなる人もいる危険な仕事でもある。だけどそれぞれすごく誇りを持って仕事をしていて、割とあっさり、当たり前のように仕事が好きだと言っていて、そんな彼らが羨ましいしすごく憧れたのであった。

結局、1年程この窓ふき会社に所属したが、最初の数ヶ月は毎週土曜日、だんだん旅行やら他の予定を優先するようになると、頻度が減っていってしまった。それでも今も、どこかの町で窓ふき屋を見かける度に彼らを思い出す。またいつか、大きな街に暮らすことがあったら、窓ふきがしたい。

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