エジプトに来て1ヶ月がすぎた頃、滞在がラマダーンと重なった。イスラム教徒ではないが、こんな機会でなければ、食べるのが大好きな私が1ヶ月間も断食する機会はないだろう。ラマダーンの月の断食の目的は、「お金がなくご飯が食べられないほど辛い立場にいる人など、色々な事情のある人への共感や理解と労わりができるようになること」と聞いて、なんでもやってみたがりの私は、イスラム教徒さながら、日の出(だいたい朝4時過ぎ)から日の入り(夕方の6時過ぎ)まで、水も含め何も食べない飲まない、断食をしてみることにしたのだった。
断食すると決めるにあたり、エジプト人の友達に色々質問した。「イスラム教徒でもない私が軽い気持ちで断食したら、宗教の侮辱にあたったりしないか」と聞いたところ、友達の回答は、「イスラム教徒でなくても、神様も人々も歓迎してくれるよ!」「エジプト人で他宗教の人が断食してたら、悪い意味で変だと思う人もいるかもしれないけど、外国人だから大丈夫だよ」など。ちょっと心配しながら断食してみたら、人々の反応は概してポジティブであった。
ラマダーンの1日目、2022年4月2日。朝3時半にかけたアラームを無意識で止めて寝た私は、5時過ぎに朝陽で明るい部屋で目が覚める。
「しまった・・・」
完全に落ち込む私を、ホステルのスタッフ達は優しくなだめ、それでも太陽が出ているからご飯を食べないという頑固な私に、「大丈夫、そんなこともあるよ」と、朝ごはんを準備してくれた。前日に夕食を食べたのは18時頃。1日目からいきなり24時間の断食はさすがに厳しすぎる。まだみんな寝ている静かな宿で、ひとりパンと茹で卵をかじる。出だしから大失敗。幸先が悪く、情けないが、仕方ない。そして心に誓った「これから1ヶ月、同じ失敗は絶対繰り返さない!ちゃんと断食する!」
それから、毎日が実験だった。腹ペコすぎて山のように日没後のご飯イフタール(افطار)を食べたら、気持ち悪くなって日の出前のご飯ソホール(سحور)を食べたい気分にならず、翌日一日腹ペコだったこともあった。また、食べないのは比較的我慢できるとして、喉が乾く。明け方に2リットの水を飲んで眠った日は、何度もトイレに起きて眠れなかった。また、どうしてもソホールを食べるために起きるのはしんどい。よって多くのエジプト人がしているように、ラマダーンが始まって早々、朝に寝るスケジュールにシフトした。
見ての通り、睡眠時間は朝の5時頃から正午過ぎ、完全に昼夜逆転である。健康なのか不健康なのかよく分からないが、昼間は、かなり気温が上がり過ごしにくく、さらにほとんどの飲食店なども閉まっていることを思うと理にかなっている生活リズムなのだ。
普段オフィス仕事の定時スケジュールで仕事をしている人は、ラマダーン時期には、労働時間が短くなる。例えば9時18時で普段働いているとしたら、ラマダーンの月は、2〜3時間短縮され(月給は変わらない、かつイスラム教徒でない人も対象)10時から16時までになったりする。家に帰って家族とイフタールが食べられるように工夫されているのだ。また、彼らは、昼夜逆転のスケジュールにすることもできないため、ソホールと仕事が始めるまで3〜4時間、仕事が終わってイフタールまでうたた寝をし、夜にもちょっと寝たりと、小分けでなんとか睡眠をとって1ヶ月間乗り切るのだ。毎年のことで、慣れているとはいえ、大変なことである。
ラマダーンの月には、イスラム教徒は、断食をするだけなく、できるだけ「模範的イスラム教徒」として過ごすことが何かと奨励される。それは、色々な欲を断つ事や、喧嘩をせず人に優しくあることであったり、分かち合うこと、コーランを読むことなどである。普段モスクに行かない人もこの時期は熱心にモスクにお祈りに行ったりもする。あるエジプト人いわく「ラマダーンは、期間限定で神様が“善い行いポイント”を普段の3倍くれるイベントなんだよ。だから普段お祈りしない人でも、この時期に頑張ってモスクに通ったり、善い行いをしてポイントを挽回できるんだ」と。
分かち合うことの一つとして、イフタールの時間には、街のあちこちの道に椅子とテーブルが並べられ、富裕層の経営者や慈善団体などが運営する無料の食堂が現れる。「マーイダ・エルラハマン(ماىدة الرحمن 慈悲の食卓)」と呼ばれるこの無料食堂は、お金のない人や、仕事の関係で家に帰って家族とイフタールを食べることのできない人、家族と暮らしていない独身男性など、さまざまな人がテーブルを囲む。無料食堂で働く若者達は皆、ボランティアである。無料食堂にしろ、レストランにしろ、日の入り前の数分間は緊張が走る。一日中断食して、やっとのことで食事ができるため、目の前に並べられていく飲み物や食事を眺め、思わず唾を飲み込む。みんな何度もスマホで時間を確認したり、デザートやチキンが足りなくて怒り叫ぶ人がいたり、殺伐とした空気の中、近くのモスクから聞こえてくる合図と共に、やっとのことで一斉に食事を始めるのだ。
イフタールが済むと、緊張がゆるみ、そして街は人で溢れかえる。断食中の日中は喫煙もしてはいけないため、イライラしていた喫煙者達も、思う存分、もしかしたら普段以上に、タバコを吸う。街には家族や友達で出かける人びとが、夜の2時過ぎになっても、ちいさな子供を連れてアイスクリームを食べたり、日の出前のソホールを準備するため買い物に出かけたり、人の勢いは収まらない。なんだかんだ、ラマダーンはお祭りなのだ。ファヌース(فانوس)と呼ばれるランタンが優しく光る街で、街角のコンサートに合わせて歌ったり踊ったり、涼しい夜の風を浴びて散歩したり、カフェで友達とおしゃべりをして過ごす。
日の出前のソホールは、なかなかシュールで面白い。レストランがある通りに行くと、夜中の3時過ぎとは思えない賑わいで、友達や家族でワイワイと、そら豆煮込みや目玉焼き、きゅうりの漬物に、フライドポテト、揚げナス、そら豆コロッケとアエーシと呼ばれる定番のパンなどがテーブルに並び食べる。楽しくて不思議な夜のピクニック気分だ。
さて、この日記を書いている現時点で、ラマダーンはまだ終わっていないが、イスラム教徒でもない私でも、断食することにして本当によかったと心から思う。それは、体調的に胃袋が小さくなったことを実感したからだけでなく、旅先の街角で新しい屋台を見つければご飯を食べたばかりでも食べずにはいられない食い意地の張った私が「食べなくても大丈夫じゃん!」と気づきを得たことも意外な発見だったし、なによりも、ラマダーン時期の普段とは違うエジプトの楽しさを、全身で体感できていると思えるからだ。断食をしていない外国人の旅行客は、暑い中、多くの店が閉まったすっからかんの街を観光し(それはそれで写真映えするのかもしれないが)、昼間のレストラン探しに苦戦し、街が動き出す夜には疲れて眠っている。そう思うと、断食をみんなで乗り越える一体感が味わえていることや、夜の3時過ぎの街のお祭りムード、そして無料食堂や、この時期ホームステイ(後日執筆予定)などは本当に貴重な体験となっているのだ。