ハンガリーのおじいちゃん

スペインでの留学中、10日ほど学校をさぼってスロバキア、オーストリア、ハンガリーの3か国を一人、バスで周遊しに行った。

最後の国、ハンガリーのブダペストの最後の夜。

翌日早朝の飛行機を取っていた私は、夜中の3時過ぎには空港へ向かう必要があった。そのため、寝坊防止と宿代を浮かせるために、この日は宿を取らず、明け方まで24時間営業のケバブ屋かどこかで過ごそうと考えていた。

スペインへ帰ってしまう前に食べ残している東欧料理はあるまいかと、名物料理を今一度ネット検索しながら、最後の晩餐の予定を立てたわたしは、夕食に出かける前に高台の教会で、夕日を見ることを思いついた。
教会は思ったよりも大きく、閉まっていて入ることはできなかったものの、教会前の広場はヨーロッパの他の国からの観光客とみられる人々で賑わっていた。

せっかくなので誰かに一枚写真を撮ってもらおうと思い、ひとりで荷物を何も持たずに歩いている地元民らしきおじいさんに声を掛けた。「写真を撮っていただけませんか?」
おじいさんは何も言わずにわたしのカメラを受け取ると、写真を1枚、2枚、3枚。
そしてわたしにカメラを返しながら、おもむろにスペイン語で言った。
「君、もしかして、スペイン語ができますか?」

ハンガリーで、見るからに100%アジア人の私に、何故、そんなことを聞くのだろうと思いながらも、わたしは答えた。
「今留学でバルセロナに住んでいるので、スペイン語は話せますよ。なぜですか?」

話をしてみるとおじいさんは、アルゼンチンから一人でやってきて、数か月間ヨーロッパを周遊していると言う。スペイン語しか話せないから、なかなか会話相手が見つからず、「君と出会えて本当にうれしいよ」といいながら喜ぶおしゃべりなおじいちゃんは、おもむろにこんなことを言い出した。

「もしよければうちで一緒に夕食を食べないかい?」

聞いてみれば、のんびり気ままな一人旅なので、ブダペストでは、娘がインターネットで予約してくれたアパートを貸し切りで、2週間滞在してるらしい。

初めて出会ったばかりだし、おじいさんと言えど男の人だし、2人っきりのアパートか…どうしようかと迷いながらも、子犬のような眼差しでわたしを見ているおじいちゃんを信じて、一緒に行くことにした。

玉ねぎと、鶏肉と、塩だけあるというので、私たちは小さな食料品店に立ち寄り、乾燥スパゲティとトマト缶、ビールとオレンジソーダを買って、おじいちゃんの滞在する、薄暗いアパートへ向かった。

アパートに入るとおじいちゃんは、せっせと部屋を掃除し始めた。わたしはひとりキッチンに立つ。

ハンガリーに来て、最後の夜で、どうして私は知らない人の家でたまねぎ刻んでるんだっけ…

そんなことを思ったり、そしてついつい万が一を考えて、防御しながら逃げ出す方法を考えたりしながら、(包丁を握っているうちはピストルが出てこない限りきっと大丈夫…)おじいさんと2人で食べるごはんを作る。

食事が出来た頃にはおじいちゃんも掃除が終わり、シンプルだけどいい香りの晩御飯をみて大喜び。そして、ニコニコしながら、おじいちゃんお気に入りの、ビールのオレンジソーダ割りを2つのグラスに注ぎ、パスタを並べ、向かい合って食卓についた。

おじいちゃんは、アルゼンチンのブエノスアイレスに住んでいること、歯医者さんであること、趣味で劇団に入っていること、建築家と法律家の娘が2人いることや、ブダペストの前はイタリアで旅をしていたことなどを楽しそうに話した。わたしは、大学で経済学を勉強していることや、今住んでいるバルセロナが大好きな街であること、でも本当は田舎の方が好き、いろいろな話をした。そして面白いことに何一つ共通点が見つからなかったにもかからわず、我々は楽しい夕べのひと時をすごした。

食事が終わり、片付けも済んで、わたしが帰ろうとすると、おじいちゃんは言った。
「宿がないならうちに泊まればいいのに。」

私が「大通りの遅くまでやっているお店の目処もつけているし、大丈夫。早めに空港に行ってもいいしね。楽しかったわ、食事までありがとう。」と伝えると、おじいちゃんはもう一回言った。
「こんな夜中に女の子がひとりで出歩くなんて心配だ。ここなら安全だよ。」

そう言われれば言われるほど怖くなってきてしまったわたしは、走るようにこの家を去ろうとした。するとおじいさんはこう言った。
「わかった、じゃあ、お別れする前に、」

「お、お別れする前に..?」

「一緒においしいアイスクリームを食べに行こう。」

おじいちゃんはポケットにお札と鍵を入れて、わたしは荷物を背負って、アパートを後にした。

気づけば時刻は23時半。おじいちゃんの好きなアイスクリーム屋さんは、23時に閉店していたが、少し歩くと別のアイスクリーム屋さんを発見し、わたしたちは少し冷たい風に吹かれながら、ブダペストの街角でアイスクリームを食べた。

アイスクリームを食べ終わると、おじいさんはもう一度わたしに家に来ないかと言ったが、わたしの心は決まっていたため、そこで別れを告げて去った。

数週間後、おじいちゃんからの突然の電話。
「明日からバルセロナに行くことにしたよ。カタルーニャ広場のすぐ横のホステルを娘が予約してくれたんだ、一緒にまたアイスクリームを食べに行かないかい?」

こんなすぐに再会できるなんて想像もしていなかったため、ワクワクしつつ、悪い人ではないと信じながらも、最後の印象からほんの少しだけ不安だったわたしは、ドイツから遊びに来ていた友達も誘って一緒に、出かけることにした。そして散歩はなかなか楽しかった。夜のランブラス通り、テラスでビール、そして道端でタンゴ。

そしてカタルーニャ広場のホテルまで3人でのんびり歩き、おじいちゃんに「また、いつか、どこかでね。ありがとう。そしてお互いこれからも良い旅を!」と、別れを告げたのであった。

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