高校生の時、「すごくかっこいい先輩がいる」という不純な動機でワンダーフォーゲル部に入った。母にはそんな理由は到底言うはずもなく、その頃ちょうど「山ガール」という言葉が使われ始めた時期だったため、母は「また流行にのって。ミーハーなんだから」と言いながら、スポーツショップで適当に選んだcaravanの登山靴、Colemanの65Lのザックと、mont-bellのレインウェア。合計で2万円ちょっとする登山道具を買ってくれた。ヘッドライトと寝袋は部が貸してくれると言うし(今思うば共用寝袋はどんな臭いがしていたのか不安になる)、食器なんかは家にあったタッパーで代用していた。
憧れの先輩には彼女がいることがすぐに分かり、憧れは憧れのままで終わったが、登山シーズンの毎月の週末合宿や、夏休みの北アルプス合宿など、気がつけば山が大好きになっていた。
そんなわけで大学でも迷わずワンダーフォーゲル部に入部した。大学のワンゲル部は、引率の先生がおらず、テントと寝袋を手にした貧乏学生ということで、さらにフリーダムを謳歌した。青春18きっぷで登山に出掛け、駅で野宿することもよくあったし(これをステーション・ビバーク略して「ステビバ」と呼んでいた)、フェリーで九州や北海道に行ったり、帰りにヒッチハイクで神戸に帰ったこともあった。
靴とレインウェア。それにテントと寝袋とエピガスと鍋、2週間分の食料をザックに詰め込んで山から山へと歩き回る。今思うとこれが、私の断続的な気まぐれ「なんちゃってオフグリット」の始まりだったと思う。
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昨晩、北イングランドのオフグリットハウスに帰ってきた。この家の家主バーニーさんは10代の頃からサーカスで空中ブランコ師としてイギリス中を移動生活し、20代の頃から馬に引かれてキャラバンで暮らす、ジプシー生活、そして数年前から現在の家に落ち着いたという。
オフグリッドとは、電気や水道やガスの全部又はどれかのライフラインに繋がっていないことを表す。登山では、携帯式の太陽光パネル、ガスバーナー。北穂高の山小屋では、太陽光パネルと軽油を使った発電機、雨水にガスボンベ。私が大好きな埼玉の名栗のヨーコさんの家は太陽光パネル、井戸と薪が、これらのライフラインである。バーニーさんの家にはガスボンベがあるので、料理やシャワーはガスを使う。井戸はないが、敷地内に川が流れており、飲み水もお風呂もシャワーも水は川から汲んでくる。洗濯物や食器洗いは、雨樋から集まる雨水を溜めて沸かして使ったりもする。
太陽光パネルの電気は、夜の電灯や携帯の充電に使うが、それ以外に家電がほとんどないオフグリッドの家に来ると、私が何より感動するは、その静けさである。家電の待機音や換気扇の音、空調器の音が全く無いのは、こんなに静かなものかと驚かされる。イングランドのバーニーさんの家で存在するのは、無音。川に近づけばの流れ。火に近づけば薪の燃える音。森に近づけば、風の音。雨が降れば、屋根に当たる雫の音。夜には、たまに聞こえるフクロウの声、鹿の声。朝になると、小鳥のさえずり、飼っている雄鶏の声と、羊飼いが羊を移動させるトラクターの音、羊の声。
明るくなると、起きて、朝ごはんに温かい押し麦のミルク粥。川と風の音を聞きながら猫を膝に乗せて本を読み、寒くなったら薪割りと畑仕事、家の周りの仕事で身体を動かす。無いものがたくさんあるけど、その分実は豊かさが全て揃っている、そんな暮らしは、一度すると病みつきになってしまう。
山に登っていても然り、ヨーコさんの家もバーニーさんの家も然り、私にとっての「豊かな暮らし」の重要な共通点は、「自然との繋がり」だと思っている。
そういえば、インドネシアのバリ島に伝わるヒンドゥー教の根底には「トリ・ヒタ・カラナ」という哲学がある。これは、サンスクリット語で「3つの喜び・幸せの理由」という意味で、「神様と自然と人の調和」を意味するそうだ。バリで私が感じたのは、神様という存在の身近さ。でもこれは多神教である私たちの国の神道にも共通していると思う。それに自然という点でも、インドネシアと日本はどちらも台風や津波のある地域。するとどちらも和辻哲郎の言う「モンスーン地帯」つまり「人間が自然の中に含まれて」おり、「人の自然への調和」という性質があると言えると理解する。そう思うと、この「神様と自然と人の調和」って日本人にもかなり共感しやすい哲学なのでは無いかと思っている。