言葉を学ぶことについて

「さらさは、何ヶ国語もペラペラですごいよな。脳の構造が違うんちゃうか。」

どこの国に行っても、誰かに出会って自己紹介をする機会があると、大抵の場合「おー」と歓声が上がる。「賢い」や「多言語の人」レッテルというが貼られる。

実際のところ、現時点で英語とスペイン語とフランス語とそれから日本語の4つに関しては、大体難なく話せている。毎日の暮らし、ちょっとニュースを読んだりラジオを聞いたり、映画を字幕なしで見る、小説を読むとかそんなこと。モチベーションを保つために資格試験を受けたりもするが、現時点でスペイン語もフランス語も、「ネイティブでも落ちるレベル(C2)」と言われる最上級の1個下の、「ややこしい仕事とかもできるはずレベル(C1)」ならそれぞれの文科省が作っている公式試験を合格している。英語はIELTSという試験の9点満点中8点というスコアを6年前に取っていて、これも「ややこしい仕事とかもできるはずレベル(C1)」に当てはまる。

今日は、言語学者でも語学教師でもない私が、言語および言語学習に関する考えを述べたいと思う。結論から言うと、私はとびきり賢いわけではないし、見方によっては「ペラペラ」ですらないかもしれない。そしてやっぱり言葉ができる人間に生まれて良かったと思っている。

まず前提として、言葉を学ぶのには長い時間と膨大なエネルギーを費やした地道な作業が続く。乗り越え終わるとつい忘れてしまうが、フランス語を勉強し始めた当時のノートを振り返ると、動詞の不規則活用を何十回も呪文のように繰り返し書いたページがあったり、ボロボロになっている単語帳は覚えていない単語の印がそこら中にごちゃごちゃと記載してある。そういえば、部屋の壁にもトイレの壁にもあちこちに付箋やらメモを貼っていた。今では、当たり前に口から出るような単語でも、当時は相当の努力をして1つ1つ覚えたのだ。

これほど地道な作業をするには、よっぽどの必要性または、並外れた興味がないと続かないと思う。私の場合、フランス語に関してはスイスの公立高校に留学するのに際し、一定のフランス語レベルがあることを求められたため、必要性から勉強した。しかし必要性から勉強したのは、文法と語彙で、現地に着いた時点ではこれは「聞ける・話せる」とはほとんど繋がっていなかった。「聞ける・話せる」ための地味な努力ができたのは、すごく優しいクラスメイトともっとわかり合いたいという強い思いと、全くうまくいかないホストファミリーとの問題を解決しなくてはいけないと言う必要性からだったと思う。

ここにあるもう1つのトリックは、言語は基本的に「日常の範囲で必要なこと」または「自分の興味のアンテナ」に引っかかる範囲しか、当たり前には使えるようにならないと言うことである。例を挙げるならば、主に映画と旅行で英語を学んだ私は、“カッコ”(カギ括弧とか丸括弧とか)を英語でなんと言うか割と最近まで知らなかった。英語圏で育っているなら小学生でも当たり前に知っているだろう。オックスフォードの大学院で政治経済についての英語でのディスカッションを難なくこなすフィンランド人は、ある時“綿棒”と言う英単語がわからず“あの耳掃除する白くて小さい棒”と言っていた。新入社員の敬語がめちゃくちゃなのも同じことで、全て、「日常の範囲で必要なこと」から今までずれていた、と言う良い例である。1つの言語環境でずっと暮らしていると、例えば「カトラリー入れの引き出しの取手のネジが外れてしまったことを誰かに説明しなくてはいけない場面」とか「お葬式に呼ばれたのでお悔やみの言葉を言う場面」とか「引っ越しをしたいので住民票を移し、郵便の転送手続きをする場面」とか、様々な場面に遭遇する。それが普段の生活環境であれば、特別な事情がない限り、「専門家を雇って解決しよう」とはならないはずだ。そうして「日常の範囲」が広がると「必要性なこと」の範囲が広がって、使える幅が増えていくのだ。そういう意味で、私のスペイン語は「キッチンとレストランではペラペラ」だけど「お役所手続きでは全くペラペラではない」かもしれないし、日本語も「旅ではペラペラ」だけど「考古学の学会に行けば全くペラペラではない」とも言えるのである。「日常会話」とよく言うが、「日常の範囲」は人によって大きく違うのである。

留学しても、暮らしていても、言葉が“できない”のは“できない”のではなくて使える幅が狭いと言うことで、それはこの「日常の範囲」が狭まっているからだ。学校の授業は理解できるけど、それ以外の場面で言葉を使って理解したい相手が少なければ、少ないほど「必要性」が少ない。逆に「同世代だけじゃなくて、近所のおじいさんおばあさんの言っていることも理解したい」とか「好きなバンドの歌詞とインタビュー内容が理解したい」とか「哲学について語るYouTuberを理解したい」とか、「日常での必要性」や「興味」が広ければ広いほど、それだけ使える幅が増えることになる。

「言葉ができても、内容がないんじゃ、しょうがないね。」
フランス語と英語の可用範囲がある程度広がってきた時、母にこんなことを言われた。

この指摘は今ももっともだと思っているし、「言葉は道具でしかない」ので、「はて、この道具を使って何をするか」と言うのは、未だに私にとって大きな課題である。確かに私は、「何事にも意見をきちんと持っています」というタイプでは無いし、母と違って、歴史や政治分野にめっぽう弱い。「情報や意見の発信」という点においては、確かに母の指摘は的を得ているが、言葉の持つもう1つの側面である「受信」についてはどうだろうか。

言葉が全くできなくても、「食べたい」「嫌だ」「美味しい」「嬉しい」「悲しい」「ありがとう」という気持ちは十分伝わるし、それはそれで楽しい。目を見れば、想いが伝わることだって多々あるし、そこから相手がどんな人か想像することが私たちにはできる。だけれど、人間が話す言語の素晴らしい特徴として、目の前に今存在しないことやもの、そして概念について話すことができると言うものがある。「私のおばあさんはこんな人だった」「昨日の夜、変な夢見たよ」「この間、こんなことがあってすごく幸せだったよ」旅をしていてふとしたところでそんなことを話す人が居たとする。「もしも今日死ぬなら何を食べたい?」「自由とは何だと思う?」「神様を信じているの?」こんな質問を投げかけることだってお手のものだ。他の個体とそんな話ができるだけで「人間で良かった」なのに、その範囲が世界の街角へ広がったら、もうちょっと楽しい。私にとって、今の所の言葉ができて本当に良かったと思う瞬間はそんなところにあるのだ。

思ったこと

Comments
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  1. 現在アトランタにあるジョージア工科大学で短期留学をしている者です。本文を読んで、非常に共感しました。言葉だけ喋れても何もないけれども、自分の人生をもっと広げるための言葉は大切だと感じています。
    このホームページはすごく整理されていて読みやすいですが、ローディングが長いので、そこが良くなると良いかなと思います。

  2. Tetsuro Ishidaさん、コメントありがとうございます。ローディングが長いとのこと、教えていただきありがとうございます。少しづつ色々試しつつ改善して行きたいと思います。ただでさえ大変なこともいっぱいあるのに、さらにまだまだコロナ禍での留学、不便なことも多いかと思います。短期留学が実りのある素敵な時間になりますように!

  3. チョコレートとチーズが好きだから、留学先をスイスに決め、僅か数か月でフランス語を習得・・の話を聞いた時、凄い子だな!とタダタダ感心した。もう一度PBに乗船しようと決め、スペイン語を学び始めたのは4年前!動詞の変化形(現在)を覚えるのに一苦労、そんなことから”語学”今日見深く読みました。何十回も呪文のように繰り返し書いたページ、ぼろ簿rになった単語帳・・・そうか、それぐらいやらなきゃいけないんだ!と思い知りました。日常の範囲が広がると必要性なことの範囲が広がる!の言葉に納得!必要性に興味を持たせればよいのか・・・確かに30代にフリオ、イグレシア(エンリケ,イグレシアの父)に夢中になり ”ナタリー”のスペイン語歌詞を必死に覚えた。今でも覚えている!必要性によって必死になれるんだ!興味あるところから入れば良いんだ!さらさちゃんは超旺盛な興味によって次々と語学を習得して行ったんだ!興味を持つことが一番大切なんだ!語学習得のコツを教えてくれて、ありがとう!

地球“借り”暮らし日記
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