嬉しいことに、たまに「ジブリ映画に出てくる女の子みたい」という褒め言葉をいただくことがある。中でも「すごく似ている」と言われたことがあるのが、アリエッティ。このウェブサイトの名前を考えていたとき、国を問わず、色々なところの暮らしや旅の話を書くことを思い、英語版のタイトル「Earthliving Diary」からも分かるように「地球暮らし日記」という名前を検討していた。しかし、その時、アリエッティに似ていると言われたこと(※アリエッティが登場する映画の日本語タイトルは「借りぐらしのアリエッティ」である)と、色々なところを動き回っているニュアンスがもっと込められると思い、“借り”という言葉を追加することにしたわけである。
勇敢で好奇心旺盛な小人の女の子、アリエッティ。可愛くて、冒険心があって、人間に見られてしまう危険を冒しながら、借り暮らし先からこっそり食料なんかを拝借してきて、自慢げなシーンが印象的であった。「あんな素敵な主人公に似てると言われるなんて」と、初めて言われた時は、浮かれ喜んだ私であるが、その後に続いた言葉は「いつも誰かの家にちゃっかり泊まってるイメージがあるから。それに大学でよく、校内に生えている木のフルーツとか勝手に取ってたし、近所の知らない人の家、わざわざピンポン押して、庭先のハーブを分けてもらってたよね」と。なるほど、そういうことか。少しがっかりした私ではあるが、言っていることは間違いではなく、数年経った今、確かに、そんな「借り暮らし」は自分の性に合ってると思っている。
さて、そんな経緯もあって、「地球“借り”暮らし日記 Earthliving Diary」と名付けたウェブサイトであるが、実は、名前を考えている時、最後まで迷った候補がもう一つあった。それがこの記事のタイトルになっている「安定的に不安定 Stably Unstable」というものである。
大学時代、多くの友達が「安定しているから」と言って就職先を選んでいた時、私はなんとなく、「不思議だな」と思っていた。「安定ってなんだろう?」と。「お給料が決まってて、先が予想しやすくて、人生計画が立て易いこと?」「突然の転勤とかがなくて、地元や好きな街に暮らし続けられること?」「リストラされたりするような可能性が少ないから、安心だし、老後の心配がいらない?」
私は、かなり気が変わり易いのかもしれない。というより、「“諸行無常”が全てにおける真理だ」と、常に思っているため、例えば、ものすごく大好きな恋人がいた時期もあったが、「今、この瞬間、絶対に間違いなく一番好きだから付き合っているんだけど、例えば明日突然、別の運命の出会いをすることがあり得ないわけではないし、将来のことは、約束はできない」と、正直に言っていた(私って、ひどい彼女かもしれない!とも思うが)。それを考えると、就職だって、私にとって「安定しているかどうか」は全くもって重要な評価項目ではなかった訳だ。
とはいえ、最初から、今みたいに「“借り”暮らし」だったり、「フーテンのさら」なんて揶揄される自分を認められていたわけではない。なんとなく、「ふらふらしている自分」だったり、これといって芯の通った「夢」や「目標」が無いこと、「将来の計画や見通し」が周りの友達みたいに全然できないことは、もどかしくもあったし、恥ずかしくもあった。母によく「しっかりしなさい、ちゃんと考えなさい」と言われていたし、「どうすればもっとしっかりできるのか」、「どんな風に私は安定したいのか」なんてよく考えては、答えがでず、やきもきしていた時期もあった。
大学を卒業し、流れに任せて就職したものの、相変わらず、目の前のことには一生懸命だが、「明日のことは、明日にならないと分からない」。そんな不安定な自分にコンプレックスを抱えながら、最初の長期休暇となった5月のゴールデンウィークで訪れたのが、インドネシア。そして、そこで出会ったのが、めぐみさんだった。
最初の印象は、かなりふんわり、とびきり優しい雰囲気の彼女だったが、少しずつ話すにつれて、なんでもよく見て、よく考えて、親しみやすくて、芯が硬くて、それでいて柔軟で、 共感力がものすごく高い女性であった。彼女と何日間か過ごすうちに、どんどんその魅力に惹き込まれ、色々なことを話すようになったわたしが、ふらふらしている自分の、そんな悶々とした気持ちをポロッと言ったことがあった。その時、彼女が、言葉を選びながら、私に言ったのだった。「でもさ。いつでも興味に従って、安定的にフラフラしている。それが、さらさにとっての安定なのかもしれないよ」と。
あれから約4年経った今でも、あのめぐみさんの一言の衝撃が忘れられない。あの時、本当に初めて、「予想通りのことをつまらないと感じる自分」や「将来の計画が立てられない自分」、「ふらふらしている自分」に対する根拠の無い不安がパッと晴れて、「あなたはそのままでいいのだよ」と世界が認めてくれたような、そんな気持ちになったのだった。
これからも、きっと想像も出来ないようなことで、いっぱいの私の人生。でも、「これが私にとっての安定なんだ」と、開きなおって、「安定的に不安定」な人生を思う存分楽しみたいと思っている。