「本当のキューバを知ってほしいの」

キューバーは今思い出しても、今まで訪れた55カ国の中でも特に特別な場所だった。

23歳の冬。メキシコのお盆「死者の日」を過ごしてから数日後、私は1週間のキューバ旅行へ出かけた。いつも通り到着してから様子を見ながら宿など手配しようとしていたが、メキシコ・シティでお世話になっていた友達のお母さんは「女の子で1人旅なのにそれはいけない」と、半ば強引に宿泊先と空港からの送迎まで予約してくれて、私は一人キューバに降り立った。

ハバナの空港に着くとお迎えのお兄さんが私の名前を書いた紙を持っており、そのままカサ・パルティクラールへ。これは、いわゆる民泊で、キューバの現地民が自分の家に余っている部屋を観光客に向けて貸している。青い錨のマークが書いてある家がその目印だ。私が泊まった時、一泊25CUC。日本円にして約2500円だった。

ハバナ市内には高級なホテルもいくつかあるが、ここを敢えてカサ・パルティクラールに宿泊するとローカルなキューバ人の生活が垣間見れる、と言うのが一般的な見解である。しかし私の経験からすると、カサを運営している家庭は、現地民であることは間違いないが、どちらかというとかなりお金がある家庭で、一般庶民の「リアル・キューバ」からは程遠いと感じる。私が滞在したカサも、アメリカに留学した息子が居たり、メキシコに年に何回は出かけて、カサで稼いだCUCで買い物をし、それをキューバに持ち帰って闇市で売ったりしていると言っていた。お金持ちだから民泊をしているのか、民泊をしているからお金があるのかは、鶏と卵の命題のようだが、1ヶ月の最低賃金が2000円程度のキューバで、一泊2500円の料金をとっているのだから、民泊をしている家庭が、ある程度お金がある家庭であることはほぼ間違いないと言えるだろう。

そもそも、CUPとCUCという2種類のお金があるキューバ。CUPは庶民のためのお金。市場で野菜や果物を買ったり、パンを買ったり、地元民用のカフェや食堂、バスなどの交通機関、配給物資の購入はこちらのお金を使う。公務員の給料もCUPで支払われる。それに対し、基本的に観光客が使うことになるCUC。この通貨は、観光客向けの宿泊施設だったり、観光客向けのレストランやカフェ、または家電製品屋さん、ネイルサロンや海外からの輸入品など、ちょっとした贅沢な場所で使われる通貨である。CUCはそもそも、1990年代のCUPのインフレ時に、より安定した通貨であるアメリカドルが流入することを抑える目的で作られたものである。ちなみに、エクアドルのように流入するアメリカドルをあえて抑えず、物価を安定させ、外国からの投資を受けやすくする目的でそのまま国の法定通貨にしてしまった国もある。CUPとCUCでは物価も大きく異なり、例えば地元民用のカフェ・スタンドだと、一杯1CUP(約4円)、観光客用の店でエスプレッソを飲むと一杯1CUC(約100円)程度となる。

到着してすぐに、メキシコから持って来ていたペソを空港でCUCに両替し、そのお金でカサのオーナーに予約していた1週間分の支払いをした。また、サルサを踊りたいことを伝えると、知り合いの先生がいるから、と言うことで1時間のレッスン料20CUCも支払い、予定が無かった私はその日の午後に早速レッスンを受けることにした。

宿代の前払いであっという間に手持ちの現金がなくなってしまった私は、街のATMを見つけ、現金を引き出そうとするがエラーで上手くいかない。国際バンキングカード、予備のクレジットカード、色々試すがどうも上手くいかず、銀行へ。

晴れ晴れしたハバナの旧市街を抜けて訪れた、厳かな美しい建物の銀行。到着してしばらく待っていると、外はみるみる曇りだし、ザーっと通り雨が降り出した。順番になって窓口で、手持ちのカードを全て出し、「手数料が多少かかってもいいから」と、お金を引き出そうとするが、ワイシャツを着た銀行員はしばらく手を動かしてから、私の目を見ていった。「天気が悪いから通信が上手くいきません。また今度晴れの日に来てください」

翌日、もう一度銀行へ行くものの、どうしてもお金が引き出せない。天気はバッチリの晴天だけどなぁ。ATMもあちこちいくつも試すが、成功せず。キューバに着いて2日目にして、私の財布にあるのは約5CUC(500円)と役立たずのカード数枚。要は、ほぼ一文なしである。さて、どうしたものか。

焦っても仕方ないし、せっかくキューバまで来たのだ。カサの前の階段に座って道行く人を眺めたり声を掛けたりして2日目の午前を過ごした。白い紙をクルッと細くコーン状に巻いたものがたくさん刺さったカートを引いて、おじさんが歌いながら通る。「何を売っているの?」と聞くと、「どうぞ」と言って売り物の炒った落花生をくれた。空っぽに等しい財布を取り出すが、おじさんは「プレゼント」と。落花生を食べ始めるとすごくお腹が空いていることに気がつく。その後目的もなくハバナの街をぷらぷら歩いていると、観光客の集まる目抜き通りの裏道に、薄暗い小さな市場を見つけた。大きなパンを買って、なけなしの3CUC(300円)札を渡す。するとお釣りは大量のCUP。後で計算すると、あのパンはたったの3CUP(12円)だった。

旅をすると私はいつも、道ゆく人に声をかけて「この辺りに美味しいお店はないか?」「喉が渇いているんだけど、どこで何の飲み物を買ったらいい?」「一日予定がないんだけど、どこに行ったらいいかな?」なんて質問するのだが、キューバではそれも簡単なことではない。ローカルなキューバ人に声をかけて「どこでご飯が食べれるか?」と聞くと、3人中3人が、「観光客用のあの店にいけば?」とか「私は行ったことがないが、あそこはいつも観光客がたくさんいるよ」と。「地元の人が行くお店でおすすめは?」と敢えて聞くと、「外国人のあなたには、教えられない。」と断られる始末。そんな中偶然見つけた市場だった。得意げな気持ちでパンを食べながら、どうしたらもっとCUPの世界「リアル・キューバ」が見られるのか呆然と考えていた。

パン半分ほど食べて、街の広場で一人座っていると、国営の情報通信会社が2CUC(200円)で販売するインターネット接続用のカードを3CUC(300円)で売り歩いているお兄ちゃんに声をかけられる。そう、キューバ人は携帯電話をほとんどみんな持っているが、インターネットには繋がっておらず電話回線のみ。インターネットを使うには、現地人も観光客も、基本1時間200円のカードを買い、公式のWi-Fiスポットに行く必要があるのだ。お兄ちゃんに、お金が引き出せず余裕がないからWi-Fiカードは買えないよ、と断ると、「ついてこい」と言ってキューバ人用の店で1杯1CUP(4円)のコーヒーをご馳走してくれた。そして歩きながら「お金のある外国人観光客を、政府が地元民用に値段を安くしているCUPの市場へ入れることはあまり好ましいことではない。もしも一緒に歩いている間に警察に職質されるようなことがあったら、長年の友達だと答えるから話を合わせてくれ。」と言った。そう言いながら、政府のオフィシャルなWi-Fiとは別の、秘密の格安Wi-Fiスポットまで教えてくれた。小学校の体育の先生をしているという彼は、しばらく色々な話をしながら散歩するとそろそろ行かなきゃと言って去っていた。

特にすることのない私が今度は教会の前でギターを弾き語りするおじちゃんと話し込んでいると、日本人らしき女性が1人通り掛かる。普段は日本人だというだけの理由で敢えて呼び止めたりしないのだが、この時はなんとなく声をかけてみた。「日本人ですか?」いつからハバナにいるか、どこに泊まっているかなど話しているうちに、一泊10CUC(1000円)で朝ごはん付き(お米と豆の煮物、それにフルーツでおかわりもできる)の相部屋の宿に泊まっているという。お金が引き出せずどうしようもなくなっていた私は、家に帰ると宿のお母さんに全ての事情を説明し、謝り、前払いしていた宿代を返金してもらい、10CUCの宿に移動することにしたのだった。宿のお母さん曰く、相部屋のカサというのは本来認められていないから、ライセンスのないいわば違法カサだと。相場も政府によって決められていて、一泊10CUCというのは本来ありえない。もし何か不安なことやおかしなことがあったら、いつでも帰ってくるように、とまで言ってくれた。

10CUCの宿に引っ越した私は、今度は一日当たり15CUCの余裕ができたわけで、3日目から本格的に観光客らしく動き始めた。とは言っても、観光客用の店の値段では、ランチで10CUCくらい簡単に無くなってしまう。道や市場でフルーツやパン、サンドウィッチを買って食べたりして過ごした。また、10CUCの宿の宿帳には、過去に滞在したバックパッカー達が残した「CUPでキューバを安く生き抜く」ノウハウが詰まっており、なかなか重宝した。

この宿帳の情報をもとに、地元民が使う運賃1CUP(4円)もしないバスを使って、出かけてみることにした。ちなみに観光客用のバスだと、チケットは一律10CUC(1000円)で1日乗り放題だそうだ。向かうのは、キューバといえば誰もがおそらく一番に思い浮かべるであろう、ベレー帽を被ったチェゲバラの肖像画が大きく描かれた内務省の建物に面した革命広場だ。日陰を見つけて、しばらく肖像を見てからトボトボ歩く。周りには特に何もなく、近くに見つけた公園のベンチで休んでから、市街地に戻るためのバスを探すが、どうも見つからない。地元民用のバスは、安い代わりに、案内やバス停の看板が無いに等しい。道ゆく人に聞いてみる。

「公共バスに乗って市街地から来たのですが、戻り方がわからなくて。どこからバスに乗ったら良いでしょう?」60歳くらいであろうか、この女性は、困った顔をした。あ、困らせちゃったな、CUPを使う観光客は歓迎されないよな、と少しだけ申し訳ない気持ちになる私をよそに、彼女は「バスはあまり使わないから知らないのよ。乗合タクシーならそこに乗り場があるから聞いてみましょう」と言い、乗合タクシー乗り場へ案内してくれた。彼女はそこに並んでいる人々に声をかけると、列の先頭へ行き、最初に来たクラシックカーのタクシーに私を詰め込んだ。「こんなに並んでいる人がいるのに、時間もあるから待ちますよ」、そんな私をよそに彼女は、運転手に何やらお金を払っている。「いくらですか?私が、払いますよ」立ち上がりながらあわてる私の手を、彼女は握りしめ、目を見て一言、こう言った。

「Quiero que conozcas la verdadera Cuba. (本当のキューバを知ってほしいの。)」

あっという間に反対側のドアから他の乗合客が乗り込み、ドアが閉まると、乗合タクシーは市内を目指して走り出した。私は、ひとまず大急ぎで窓を開け「ありがとうございます」と大きな声で言った。道端に笑顔で立っている彼女がどんどん小さくなっていく。

乗合タクシーは海沿いの道を走り抜ける。窓の外の青い海を見ながら、私の心臓はまだドキドキしていた。彼女がたった今握りしめた手に残る感覚を感じながら、彼女の言葉を彼女の声を眼差しを脳内で繰り返していた。そしてなぜだか、涙が出てきたのだった。

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あの涙がなんの涙だったのか、未だ自分でもよくわからない。海外旅行に行けずに一生を終える人だって多いキューバで、海外から来たある程度お金があることが分かりきっている私に、乗合タクシー代を払った意図は?彼女が私に知って欲しかった、「本当のキューバ」とは?

人道主義を根本に置き、「モラル革命」とも呼ばれるキューバ革命。そこでは、人々がみんな当たり前に仕事や日々の食事にありつけ、医療サービスや教育にアクセスできる社会が目指された。そしてそんな社会実現のために自分の身を犠牲にすることも含めた国民一人一人の意識みたいなものがあったからこそ実現した革命なのかもしれない。これは、私の浅はかな想像でしかないが、彼女はそんなキューバ革命の、そして変わり続ける今日のキューバの根本にあった「助け合い」とか「公正さ」とか、そんなことを外国から来た私に見せたかったのかもしれない、と思っている。

(※) 2021年1月より、2つの通貨のうち“外国人の通貨”であるCUCが廃止になり、“庶民の通貨”であるCUPに統合された。これにより、キューバは今も大混乱中。コロナによる観光客の激減によって経済がかなり悪化したことも通過統合に踏み切った理由とされているが、現地では統合によりさらにインフレが進んでいる模様。海外から仕送りをしてくれる家族がおらず、外貨による貯金が無い一般の庶民が、どこまでコロナ不況とインフレに耐えられているのか、街で出会った、靴磨きのおじさん、ピーナッツ売りのおじさん、市場のお姉さん、小学校の先生や乗合タクシーのあの女性がどうしているか気になっている。

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