「ねぇ、ガラパゴス行かない?」

新しい街に行くごとに、SNSに写真を投稿しながら、メキシコ、キューバ、グアテマラへと1人気ままに南下していると、年明けになって突然、投稿を見た久しぶりの友達からメッセージが来た。

スイスの高校留学中、山の中での林業ボランティアをしたのとき、1週間一緒にキャンプした、カナダの友達ジェンだった。バンクーバーの空港で働いており、ほぼ空港税の支払いのみのタダ同然で飛行機に乗れる彼女は、「3連休取れるからエジプトに行くよ」とか、「2連休しか取れないけど、直行便乗れそうだしドイツに遊びに行こうかな」なんていつも言って、恐ろしくアクティブに動き回る。そんな調子で、スイス留学時代以降も、カナダから関西に3連休で遊びに来たことがあった。それ以来の、かなりの久しぶりの連絡だった。

あくまでも限られた予算の中で、バスを使って陸路で移動する貧乏旅行をしていた私は、ガラパゴスなんて行く予定は無かったが、聞いてみれば私もジェンと一緒なら割引価格で飛行機に乗れるという。2つ返事で、「日付が合うなら、行こっかな」と答えた。

大体のジェンの休みの予定を見つつ、エルサルバドルを経由して、ニカラグア、コスタリカへとのんびり進む。最後の最後には大急ぎで、コスタリカからパナマまで、合計13時間のバス旅を経て、ジェンと待ち合わせのパナマ・シティに間に合わせた。

「私がこの2ヶ月泊まっていたどの宿の部屋よりも広かったよ」とトイレから戻った私が叫んだのは、ジェンの持つ特別なカードで入ったパナマの空港のVIPラウンジ。おしゃれなタパスやお寿司まで食べ放題。そこで、ジェンがスーツケースを開け、わたしにハイヒールとジャケットを渡す。「ビジネス・クラスに乗るかもしれないけど、そんな服ある?」と事前に聞かれた私は、当然のように登山靴とビーチサンダルしか持っていなかったため、ジェンが万が一のビジネス・クラスに備えて私の分の服まで持ってきたのである。

とはいっても、身長180cm近くあるジェン。ぶかぶかのヒールがガポガポとだらしない音を響かせながら、ジェンの大きなジャケットを着て空港内を闊歩する私は、まるでお母さんの服を着た小学生のようだ。その格好で、結局は席の空いていたエコノミー・クラスに乗り込み、エクアドルの首都キトへ。1泊して、翌朝、ガラパゴスに向かった。

ガラパゴスの小さな空港で、入島税を払い、バスに乗って街をめざす。そこには、見たこともない青さの海が広がっていた。

空港のある小さな島から、水上タクシーに乗って海を渡り、サンタクルス島へ。宿すら決めずに到着した私たちは、島の一番大きい街へ向かい、宿を見つけては満室で断られ、部屋があったと思ったら高級な部屋しかないとのことで、値段交渉。何軒か訪れ、やっと見つけた宿のおばちゃんは、「4人部屋なら、割引してあげるから、もう2人一緒に部屋をシェアして泊まりたい人を探してきなさい」という、不思議な条件を提示した。2時間の制限時間付きで部屋を仮押さえし、ジェンと私は、宿を探す人をスカウトしに、島を散歩することになったのだった。割とすぐに、リュックを背負って宿を聞いて回っている男子2人組を発見。「宿を探しているの?良かったら、私たちの部屋に泊まらない?」と、これでは恐ろしく唐突な逆ナンパである。宿の料金と、私たちのミッションを伝えると、2人は「ちょっと考えさせてくれ」と言って、声が聞こえないよう10mほど離れたところで、何やら相談をし始めた。5分経っても、10分経っても、2人はまだ相談し続けている。そろそろ、彼らのことは忘れて、他の人をスカウトしに行こうかと、ジェンと言い始めた頃になって、彼らは、こちらへやってきて、「部屋をシェアします」と結論を出したのだった。

何はともあれ、タイムリミットを1時間半以上残して、晴れてミッション達成である。早速一緒にホテルへ向かい、仮押さえしていた部屋は、4人のものになったのだった。そのまま特に目的もなく、一緒に街へ出ることになった私たちは、飲んだくれの(?)アシカたちが眠るフェリーの駅や、海の中にエイを発見したり、大きな鳥やイグアナなんかも街中で見つけて大はしゃぎ。

その後、一緒にレストランで夕食をとりながら分かったことであるが、彼らは、ちょうどこの旅の少し前に、女性の車の運転が法的に許可されるようになったという、サウジアラビアの出身の兄弟だった。そうと分かれば、突然の女性2人組からの誘いに乗るかどうかの議論が長引いた理由も、もう少し想像がついた。弟は医学部で勉強する大学生。25歳の兄は、石油会社で働いているが、親からの結婚へのプレッシャーが辛くて、家族から離れるために、時間があれば海外旅行をしているという。夜は私とジェンが部屋の中央にあるダブルベットで、彼らは部屋の隅に置かれたシングルベットでそれぞれ眠ったのであった。

ジェンの短い休みで来ている私たちは、大忙しである。翌朝兄弟たちがまだ眠っている部屋を、朝早くにチェックアウトし、街で朝ごはんを食べてから、「世界一面白い魚市場」へ向かった。

島の唯一の魚市場。何がどう面白いかって、魚のおこぼれをもらおうと集まる動物たちの多様性である。さすが、ダーウィンが進化論を想起した、固有種もずば抜けて多いガラパゴス。人間のお客さんよりも、集まる動物たちの方がよっぽど多い中、魚を売る女性たちは慣れているのか、全く平然としているのも、なかなかシュールさを増している。国立公園なので島の周りでは漁ができず、島の漁師は島から小舟で6時間離れたところまで行かなければ漁ができない。大抵は前の日の夜に沖に出て、小舟で眠り、朝に漁をして戻ってくる。そんな漁師たちが釣ってくる新鮮なマグロやマヒマヒなどを食べたくて、アシカやペリカン、イグアナが集まる。そしてアシカやペリカン、イグアナを目当てに、観光客が集まる。なんだかいろいろ集まり、賑わっているが、魚が全然売れているように見えないのが、非常に気掛かりであった。

残念ながらキッチン無しの宿に泊まっている私たちは、魚を買うこともできず、魚市場を鑑賞だけ思う存分した後、真っ青に眩しい海を眺めながらフェリーに乗り、イザベラ島へ移動した。島のフェリー駅に着くと、一緒に下船した他の乗客たちは各々、ホテルの予約送迎車に乗り込んでいく。私たちは街まで、30分ほどの道のりを、灼熱の中歩いていると、通りがかった軽トラックが街まで乗せてくれた。軽トラの後ろに乗っていたお兄さんは、ホテルで働いているというので、そのまま彼の働くホテルへ行ってみるものの、街一番の高級ホテル。私たちはとてもじゃないけれど予算外で、お礼だけ言って別の宿を探す。次に見つけた宿は、なんともローカルな雰囲気の民家。家族が暮らす家の数部屋をホテルとして貸し出しおり、庭の木にぶら下がったハンモックがなんとも良い感じ。料金も手頃で、宿が決まった私たちは、街のツアー会社へ、ツアーの申し込みに行く。ガラパゴスには、ツアーでないと行くのが難しいスポットも多々あるのだ。

翌日の朝から参加したツアーでは、小舟で海へ行き、サメや亀と泳いだり、また固有種の珍しい青い足の鳥を見ることのできる小さな島を訪れた。ツアーで知り合ったナンシーは、もともとエクアドル本土の南の街出身の、女の子。3年間付き合った彼と結婚し5年目で、その彼の地元ガラパゴスで、ホテルで働いているという。同い年ということもあり意気投合した私たちは、午後には、ナンシーの知り合いの島のガイドさんも合流し、亀保護施設やフラミンゴの見学に。島の穴場のシュノーケリングスポットまで教えてもらい、仕事先のホテルから借りてきてくれたシュノーケルセットで、女子3人、のんびり、アシカやエイ、魚たちと泳ぐ。

残りの2日間は、特に予定を決めずジェンと気ままに散歩。島に着いたばかりの時は、1匹見つけるだけで大はしゃぎだったイグアナも徐々に見慣れ、人間よりもイグアナの方が多いビーチで泳いだりおしゃべりをしたりして過ごす。イザベラ島の中心地でバッタリ再会したサウジアラビアの兄弟は、2日間だけ過ごす予定だった島が気に入って、本土に戻る飛行機を乗り過ごすことにしたという。

私たちは、その後キトヘ戻り、ジェンは「その日の夕方から仕事する」と言って、カナダへ帰って行った。私の中南米の旅は、ちょうど折り返し地点。その後、エクアドルとボリビア、ペルーと、まだまだ続くのであった。

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