今年の年始、1月2日の出来事である。私は、リュックサックをどこかに落とした。
「無い!」と乗り換え駅で気がついた時にはもう手遅れ。一応、到着したプラットホームと、次に乗る電車を待つプラットホームを往復してみたが、リュックはどこにも見当たらなかった。最後に見たのはロンドンのキングス・クロス駅。ハリーポッターで有名な9と3/4番線のモニュメントで観光客が写真撮影のため並んでいるのを横目に「観光客も1年前と比べてかなり増えたな」なんて思いながら、すぐ横のベンチで荷物を詰め替えた。あそこから、確か7番プラットホームへ行って電車に乗り込んで、でもその電車が私の持っている切符だと乗れない特急電車だと出発前に気がついて、急いで降りて、9番プラットホームへ移動して、そしたらホームが変更になったと言われ、また別のホームへ移動して乗り込んだ電車。どこでいつ落としたか見当もつかない。
「年始から幸先悪いことばかりだなぁ。」と思ってから、それにしてもあのリュックサックには何が入っていただろう、と考え始めた。「もしや、パスポート⁉︎」急いで手元にあるバックパックを見ると、内ポケットにすぐパスポートを発見した。「もしかして、iPad?」これも幸いバックパック内にすぐ見つかる。「友達に借りたハンティング・ナイフ」「10年間愛用しているスイス製のずっしりしたボールペン」「お母さんがくれた真珠のピアス」「1つしか持っていない携帯の充電ケーブル」「iPad用のタッチペン」「大学院の卒業証書」「緊急時用の予備クレジットカード」「読みかけの本」…。
ところが全て手元にある荷物から見つかる。おかしいなぁ。逆に不安になってくる。「先週スイスから買ってきた2kgのチーズ」「昨日見切り品で買ったレタス」「昨日茹でて食べきらなかったじゃがいも5つ」これもみんなある。
鞄を無くしたはずなのに、無くなったものが一つもわからない。もちろん、あの鞄は100%リサイクル・マテリアルで作られていて、丈夫で、すごく気に入っていたし、ここ3年、仕事に行くにも旅行に行くにも、毎日使った。安くはなかったのでもちろん惜しいけれど。
それにしても中に入っていたものは何?
ホームで、電車が来るまで1時間近くあったので、じゃがいもを嚙りながら考える。唯一本当に手元に見つからなかったのは、「動物柄のマスキングテープ」で、キツネやウサギや木の穴から外を覗くリスのイラストが書いてある茶色いテープ。あれを買ったのはもう8年前、大学1回生の時だ。使っても使っても減らない不思議なテープだった。
50Lのバックパック、友達がくれたポーランドの大きめのトートバックと、今回無くしたリュックサックだけで、ここ1年、友達の家に暮らしたり、住み込みのベビーシッターをしてみたり、ホステルに泊まったり、定住せずにカタツムリ生活をしている。荷物はかなり少ない方だと自負しているし、必要不可欠なものだけを持っていたつもりだったけれど、それでも無くても困らないものが、まだあったのだと気付かされた。
今回に限らず、私は「ふっ」と物をなくすことがよくある。ニカラグアでも鞄を丸ごと友達の家に忘れて次の国を目指してしまったことがあるし(困るようなものは何も入っていなかったので、「キャベツは食べてください。他のものも適当に使ってください。折り畳み傘はなかなか良いよ。」と連絡した)、スペインで鞄を置いてきた時には、「中に友達にもらったお気に入りの万能ナイフが入っている!」っと思い出して、「それは大変」と引き返して探しに行ったら、ナイフはどこにも見つからず、ただしパスポートが見つかったという事件もあった。
流行りの言葉を使えばミニマリスト、実際にはただ単純に「もの」への執着が全然ない私は、いつも欲しいものではなくて、本当に必要なものだけを買っているはずだが、それでもいざ何かが消えた時に、「なんだ、なくてもへっちゃらじゃん」となることがあるのである。そしてそんな時いつも、「どうか今頃もっと必要としている誰かのところで大事にしてもらっていますように」と願うのであった。