「ドスン」と、鈍い音を立てて、私の50Lのバックパックはツルツルの床に着地した。「すぐ戻ってきますから!」と言って走り去る私の後ろで、「僕をそんなに信頼してくれるの!」と、私に向かって大きい声を出しているのは、制服を綺麗に着こなすイタリア人のおじさん。
「そりゃ、空港のゲートの係員だし、信頼出来なかったら困るよ」なんて独り言を言い、苦笑いしながら、私は猛ダッシュでゲートの反対側のカフェを目指す。
ゲートのスクリーンには「LAST CALL」の文字が赤く点滅している。
たった2時間45分のトランジット。空港から出ようか迷い、空港周辺に何か手軽に行ける見どころがあるか調べたものの、時間がかなり少ないこともあり、結局出ないことにした。その、つもりだった。しかし、到着してみると、かなり小さな空港。トランジット用のレーンや待合室があるわけでもなく、矢印は「出口」のみ。気がつけば、「バゲージ・クレーム」を通過して、空港の外に出ていた。
空港の出口のロビーには、サンドウィッチを売るカフェが1軒あるのみ。乗り継ぎも国際便なので、少しギリギリで1時間半前には戻ってくるとして、猶予は1時間。とはいえ、せっかく外に出てしまったので、夕食時ではあるし、空港の目の前にあるショッピングモールのレストランで、イタリアンをパパッと楽しむことにしたのである。
目の前に見えているとはいえ、入り組んだ駐車場や空港の前に特有な一方通行の嵐、小走りで向かって10分強かかって、やっと到着した。大急ぎでGoogleマップを調べると、なかなか評価の良いピッザリアがモールの中にある。時間もないため、一直線でそのピッザリアへ。去年の10月からコツコツ勉強していたイタリア語で、店内で飲食するためコロナ・パスを見せたり、セットメニューに含まれる飲み物を確認したり、簡単なやりとりをして、プロシュートとキノコのピザを注文した。
大きなリュックを背負ってやってきて明らかに外国人の私にも、お店のお姉さんが全部イタリア語で話しかけてくれることが少し嬉しい。時間を確認しながら、今度はメニューをじっくり見て、知らない単語を調べて遊んでいると、あっという間に大きなピザが登場した。ショッピングモールのピザ屋でありながら、ガスでなく薪の釜で焼いているとだけあって、耳までさくさくモチモチで芳ばしく、美味しい。
1/4を食べたところで、唐辛子入りのオイルが欲しくなる。ロンドンでイタリア人の友達と何度か有名なピザ屋巡りをしたが、ピザの上にいつも彼らは驚くほどたっぷりオイルをかけてピザを食べていたので、私もいつもそれを真似していたのである。
テーブルには、塩胡椒とバルサミコ酢、それにエキストラバージンのオリーブオイルのみ。お姉さんに辛いオイルを頼もうと、何度も目を合わせとようとするが、広い店内の端に座っている私になかなか気がついてくれない。
すると、おじちゃんの店員さんが通りかかる。わたしは、「辛いオイル、ありますか?」と聞くと、「あるよ!ちょっと待ってね」と言って、すぐに持ってきてくれた。「ピザ、美味しい?日本人でしょ?イタリア語結構分かるんだね?学生?ピザ焼いている彼は、日本語喋れるんだよ」。ピザを焼いているお兄さんを振り返ると、「その人冗談言ってるだけ。全然喋れないよ」と言う。「どれくらいベルガモにいるの?」と言われたので、カタコトのイタリア語で、「エジプトに行くの。ここにいるのは、3時間だけ」と答えた。「エジプトへ?仕事?バカンス?それともエジプトに彼氏がいるの?」と、色々質問すると、おじちゃんは、他のお客さんに呼ばれて去っていく。
辛いオイルをたっぷりかけて、残りのピザをパクパク食べる。口がいっぱいのときに、おじちゃんは帰ってきて、後ろでピザを焼いているお兄さんに、「あの日本人の女の子、バカンスでエジプトに行くらしいよ。イタリア語も喋れるし、どう?かなりタイプなんじゃない?」なんて勧めてる。思いっきり聞こえてるんですけど!なんとも、イタリアっぽい、世話焼きおじちゃんよ。
あまりに大きいから、制限時間内に1人で食べられるか心配したのは杞憂であった。最後の一口を飲み込んで、お会計を済ませて店を出ようとすると、おじちゃんは、「素敵な旅を!」と元気な笑顔で送り出してくれた。
時計を確認しながら、ショッピングモールを走る。途中、ショッピングモール内でジェラート屋が3軒。デリが充実し、お菓子がたっぷり並んだスーパーマーケットが1軒。その度、3秒ほど足を止めて、メニューを見て、悩むものの、「多分時間が足りない」と諦めて走り続ける。
空港に着いたのは、離陸の1時間半前。ここまでは、予定通り。ただし、私はやっぱり、せっかくならイタリアの甘いものを食べたい気持ちが捨てきれず。
チェックイン・カウンターに向かうため、空港の唯一のサンドウィッチ屋を通りかかったときに見てしまったのだ。大好きなピスタチオのカンノーロがショーケースの中から私を見つめているのを。唯一の店でありながら、パニーニを温めたり、コーヒーを淹れたり、それでものんびりしゃべりながら働く2人の店員さんしかいないこの店には、長蛇の列。それでもカンノーロを求めて、列に並ぶ。3分後、携帯で何度も時間を確認しながら私の前に並んでいたお姉さんは、ポテトチップスとコーラのボトルをその辺の棚に置いて去っていく。5分後、少し前に並んでいたカップルも、痺れを切らして列を出て、チェックイン・カウンターへ向かって行った。私は背伸びをして、列の先頭を覗き込む。可愛く並んだピスタチオのカンノーロは、やっぱり私を待っている。耐えるしかない。やっと順番が来たのは、離陸の1時間20分前。「せっかくこんなに並んだのだから」という気持ちになり、小さなカンノーロだけでなく、マキアートも注文し、さらに待つ。お姉さんは、何故だか通りかかった関係ない人と、商品のサラダについて話し込んでいる。やっとマキアートができると、写真1枚。そしてマラソンの水分補給場のごとく、ググッと飲んで、甘くカリカリのカンノーロをパクっとひとくち。残りを紙袋に戻しながら、走る。
チェックイン・カウンターに、荷物の検査場、そして出国審査。スクリーンの「搭乗中」の文字と、行列を睨みながら、「乗り遅れたら、せっかく手に入れたコロナの陰性証明書が無効になる前に到着できる飛行機、ちゃんと取り直せるかな」なんて考える。
離陸便のカイロ行きが「LAST CALL」になったのを見たのは、出国審査の後のスクリーンだった。シャッターの締まった免税店街を走り抜け、ゲートの目指して走る、走る。係のおじさん1人が、ポツンと立ったゲートに着くと、おじさんはわたしの顔をじっと見て、「その、青いサージカルマスクじゃ、飛行機乗れないんだよ。FFP2、持ってないの?あそこのカフェで売っているよ」と指差す先は、ゲートの反対側のカフェ。
バックパックをその場に放り投げ、走る。言われたカフェへ大急ぎで走って、5.99ユーロもするマスクを買って、また走る。そして、なんとか飛び乗った。
飛び乗った飛行機に座ると、右は、「化粧が濃いとか、ヒジャブから髪の毛見えてる」と婚約者が厳しくて、結婚するか迷っている、おしゃれが大好きな25歳のエジプト人の女の子。左は、イギリス生まれイギリス育ち、イエメン人の両親を持つ23歳の少年の生まれて初めての一人旅。英語とイタリア語とアラビア語ごちゃ混ぜで、3時間半の井戸端会議をしたら、あっという間にカイロに到着だ。着陸の瞬間というのは、いつもなんとも不思議な緊張感がある。これから新しい旅が始まる、心配とわくわくが入り混じったこの気持ち。これも、旅をする中で好きな瞬間のひとつかもしれない。