ニカラグアの新年と怒るマリア

2017年12月30日、私はニカラグアのグラナダから、オメテペ島、又の名をひょっこりひょうたん島、大きな湖に浮かぶ小さな火山島へ移動した。フェリーに乗るのも一悶着あったが、やっとついた島でも島内のバスが遅れ、予定よりかなり遅く到着した真っ暗なバス停。地図を頼りに全く人気のない細い道を進み、森の中を突き進み、小高い丘の上にあるファームを目指す。犬と猿の鳴き声や動物が草の中を走る音に冷や汗をかきながら早足で暗闇を登る。登っても登っても真っ暗で誰もいない。猿の声はだんだん遠ざかったが、大型犬の数匹の鳴き声は近くなるばかりだ。30分近くかけて、怯えながら、懐中電灯で辺りを散策すると、小屋を見つけた。そして屋外のキッチンのカウンターの上にスペイン語で書かれたメモを発見した。

「サローメへ 今日夕方に女の子一人到着するよ。“太陽”のゾーンのベットを1つ、ベットメイクと受け入れよろしく。」

サローメは、どうやらこのメモをまだ見ていないらしい。とにかく真っ暗で誰もいないが、正しい場所に到着したのは確かなようだ。周囲を注意深くみてみると、柱に「湖のゾーン」「フルーツのゾーン」そして「太陽のゾーン」の文字。矢印に従って進んでいくと、ベットを発見した。ざらっとしていて綺麗なシーツではなさそうだ。でももう疲れた。私はそのまま倒れ込むように眠りついた。

「パチパチパチ」「カチカチ」と、小石を叩くような音で目を覚ます。なんだろう?周りを見ると蝶が飛んでいる。明るい日差し。昨日は真っ暗で気が付かなかったが、周りを見ると、隣にベットが2つ。2つともしっかり蚊帳が貼ってあり、誰かの荷物が置いてあるが、相変わらず人はいない。ふと、蚊帳なしで眠ってしまった私の腕を見ると、なんと赤いブツブツだらけ、そうと気づけば痒い痒い。あちゃちゃ。昨日は暗闇の中すごく遠く感じたキッチンも、眠ったスペースからそう遠くなく、バナナやパパイヤの木越しに覗くと、そこに人影が見えた。

目を擦りながら、キッチンへ向かい、「おはようございます!」と声をかけた。「おはよう」と控えめな笑顔で優しく答えた彼女は、キッチンを掃除している。今のところただの勝手に眠った侵入者(?)である私は焦りと、やっと誰かを見つけた嬉しさから、ペラペラと説明したのだ。

「昨日到着したのですが、予定より遅くついて、誰にも会えず、どこで寝たら良いか分からず、サローメさんという方へのメモは見つけたのだけど、とにかくそこのベットで寝かせてもらっちゃいました。」「ここで働いて長いんですか?私は初めて来たんです。昨日この島に着いたところなんです。他に宿泊者いるんでしょうか?」「ところで何か私に手伝えることありますか?なんせあなたがここで初めて会った人なので全然勝手が分からなくて。」

徐々に私の質問攻めにも慣れてきたコンチータさんは、少しずつ丁寧に話し始めた。この島出身であることや、もともと島の別のホテルで働いていたこと。このパーマカルチャー・ファームで働き始めてもう数年になること。ここでの仕事は、元気な若いバックパッカーが主なお客さんで、気楽にできて気に入っていると。それにしてもアジアから来たお客さんを見るのは初めてだし、スペイン語ができるお客さんは少ないと。

直感的に優しくて良い人だ!と思った私は、下心満々でこんなことを言い出した。

「ところで今日は大晦日ですね。私の出身地の日本では、お正月ってこっちのクリスマスみたいに家族で集まって過ごすとっても大切な日なんです。深夜は神社に行ったりするんですよ、あったかいスープなんか振る舞ってて。それにしても、私は昨晩ついたばかりで一緒に過ごせる友達も1人もいないし予定も全く無くて、どうしようかと思ってるんです。地元の方はどこでどんな風に過ごすんですか?」

それを聞いたコンチータさんは、「私は家族で過ごす予定よ。村の広場で闘牛ショーがあって、それから他の親戚に会って、夜は教会にも行くわ。よかったら、一緒に来る?」と。

そこから私は、見ず知らずのコンチータさん家族と素敵な年越しを過ごすべく、できることは何かと考えた結果、村の商店で買ったキャベツと小麦粉、そしてあんなところで手に入ると思っていなかった、キッコーマンの醤油まで入手し、夕方からコンチータさんの家で餃子作りに励んだのであった。この急な段取りでは、豚肉を手に入れることは難しく、以前メキシコの村でやったようにツナ缶で作ろうかと考えていたら、コンチータさんのお父さんが鶏を締めてくれた。これを包丁で叩いて、美味しい鶏ひき餃子になった。ちなみに当時、コンチータさんの家では、お母さん豚と子豚を5匹飼っていた。これは大きくなるまで育てつつ、子供が進学するタイミングで売ってお金にしたり、村の祭りで当番になった時に屠殺して村人に振る舞うのだ。「中火」だとか「もうちょっと弱くできますか」だとか、そんな私の掛け声に合わせてコンチータさんのお母さんが薪を移動させ、火力を調整してもらいながら、とってもおいしい餃子ができた。

餃子を食べた後は、お待ちかねの闘牛ショー。村の広場へ行くと、ここで例の同僚サローメさんが合流し、暴れる意欲の全くない平和的な牛たちと、勇気があることを見せるため闘牛ゾーンに乱入する村の男たちのカオスなショーが始まったのである。赤い布を目の前で振っても、男たちが靴を脱いで投げつけても、のんびり優しくぐるっと会場を散歩して出ていく牛たち。誰かが牛の背中によじ登ろうとして、流石に牛がちょっと嫌がってお尻を振ると、会場に「おー」と歓声が上がる。

そんな様子をしばらく眺めてから、今度はコンチータさんの親戚の家へ。到着すると子供たちが私をひっぱって家の裏で生まれたての子猫を見せてくれる。その後ビールを飲みながら、しゃべっていると、広場の方からクンビアが流れ始めていつの間にかダンスパーティーが始まった。少し踊っているとアッっという間に23時半。広場の前の教会へ向かい、ミサに参加。0時には教会で鐘を鳴らし、それに合わせて花火なんかも少し上がって、我々は家に帰った。コンチータさんとお姉さんが、「こんな特別なゲストが来てくれたお正月は初めてよ。今年はきっととっても素敵な特別な一年になるわ。」と言ってくれて、嬉しくて少し涙が出た。その日はドアの下の隙間から入ってくる子豚たちが駆け回るコンチータさんのお姉さんの家で、ぐっすり。

朝起きてお礼を言うとパーマカルチャーファームに戻った。大晦日前から、島内の他のホテルに泊まりに行っていたという、ファームのスタッフや長期滞在しているゲストも、1月2日か3日には戻ってきて、少しずつ予定通りのプログラムで、畑作業が始まった。フルーツを収穫したり、苗に水をやったり、数日間はそこで楽しく過ごすものの、スタッフもゲストもみんな北米人。数年間この島に住んでいてもスペイン語が全く話せず、インターナショナルなコミュニティー内で英語だけ喋って大麻を吸ってヨガをして暮らしている、そんな彼らと残り2週間も過ごすことに疑問を感じ始め、私は、「今ここで私がみたいのは、ニカラグアであって北米ヒッピー文化じゃないんだ」と、予定よりも早くこのパーマカルチャーファームを出ることにしたのだった。

ひとまず向かった先はコンチータさんの家。「いつでも戻っておいで」と声をかけていただいたのである。ところが一泊し、翌朝目が覚めると、なんだか若干熱っぽい。すでに用意してくれていた朝ごはんのお米と煮豆と蒸したバナナをいただくと、風邪を誰かに移しては大変だし迷惑をかけてはいけない、とお礼だけ言って足速に、彼らの家を去ったのである。

村から40分ほど歩いた隣町に、ゲストハウスを見つけ、そこへ向かった。そこで丸1日半、38度以上の熱にうなされながら眠る。たまに部屋から出てきては、ゲストハウスの食堂で、ニンニクのたっぷり入った魚スープを注文して食べてまた部屋に戻って寝る。腕に出ていた発疹は、今やあちこち広がり、手のひらや足の裏、顔まで、赤い湿疹だらけになっていた。

食堂で私のことを心配そうにみていたマリアおばちゃんは、ついに3日目の朝、私の部屋に入ってきて、こう言った。「あなた、まだ具合悪いの?」私が、まだ熱があること、蚊帳なしで一晩寝た日から湿疹が増えていることなど伝えると、「マラリアの可能性だってあるし、この島で最後にマラリアの話を聞いたのは数年前だけど、死んだら困るでしょ、病院に行きなさい」と。そんなこと言われたら私だって怖くなる。どうやって病院に行こうか、一日1本しかないバス?レンタルバイク?マリアは唐突に「知り合いいないの?」というから、隣の村に住むコンチータさんの名前を出した。すると、マリアはそのまま電話を持ってきて、私の手書きのメモを見ながらダイアルし、電話口にこう怒鳴った。「あんた友達がひどい病気で私のところでずっと寝てるのに、何してるの!今すぐ迎えにきてクリニックに連れていきなさい!」と。

「ヒェー!」(待ってよ、私、ひどい病気なの?!それに、友達と言ってもまだ知り合って1週間、ほとんど私がお世話になりっぱなしなだけで、、というか怒らないで!彼らは全くもって1ミリたりとも悪くない!)

30分もしないうちに、コンチータさんの旦那さんと甥っ子が馬で迎えに来てくれた。バスが少ないこの島で、観光客は自転車やバイクをレンタルして観光するが、実は道路が整備されておらずボコボッコのこの島で一番早い交通手段は馬である。生まれて初めての乗馬体験が、マラリア疑いで島のクリニックに行くためになるとは。人生予想外のことだらけである。

クリニックに着くと、島のお医者さん大喜び!日本の文化、特に昔話や寓話に興味があるが、スペイン語ができる日本人に会ったのは生まれて初めてだと。ニカラグアの首都マナグアに家族が住んでおり、ゲストルームもあるから、いつでも遊びにおいで、と。熱はそのうち下がるだろうけど頓服薬欲しい?湿疹は、カラミンローション出しとくね、と。診療よりも、「日本人は本当に兎が月で餅つきしていると思っているのか」についてたっぷり話した後、お礼を言ってクリニックを去った。

外で待っていたコンチータさんの旦那さんにも、「なんか大丈夫そう。心配かけて、突然来させて本当にごめんなさい。ありがとね。」と伝えると、じゃあこのままついでだから従兄弟に会いに行きましょう、ということで馬での散策が続行することになった。

薬に頼らずとも幸い翌日には熱もすっかり下がった。マラリアじゃなくて本当によかった。

【余談】

今更ながら、あのひょっこりひょうたん島で頻繁に聞いた「カチカチ」という音は何だったんだろうと、調べてみた。音の発生源は間違いなく蝶だった。英語ではクラッカー・バタフライと呼ばれる、カスリタテハ族の蝶で、オスが縄張りを示したり 、メスの気を惹くために羽を使って音を出すらしい。

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