忘れもしない、小学6年生の総合科の授業。世界どこかの国を1つ選んで、模造紙にその国の情報をまとめて発表するという課題が出た。「アメリカ」「フランス」「中国」「イタリア」「韓国」。いろいろな国が並ぶ中、私が選んだ国は「マダガスカル」。「マダガスカル」というタイトルのアニメーション映画が公開になった後だったので、みんな名前は当たり前に知っているけど。私自身も含め「それって国なの?」そんなレベル。
図書館でできるだけ情報を集め、それからインターネットで検索すると、日本在住のマダガスカル人が運営する手作りのウェブサイトを発見した。そのウェブサイト運営者にメールで問い合わせをし、「ヤギのスープ」のレシピを教えてもらうことに成功したのだ。母に相談すると、ヤギ肉を手に入れるのは難しいという。では、代用として、骨つきの牛肉を使うことにした。
発表日はちょうどバレンタイン・デーだった。そこで、前の日の夜は、友チョコでクラスの女の子に配る手作りのトリュフと、その横ではマダガスカルのスープをぐつぐつ煮込む。バレンタイン・デーの朝にちょうど初潮を迎えた私は、緊張するやら混乱するやら、右手トートバックにはマダガスカルのスープが入った圧力鍋、左手にキャンディ包みにしたトリュフを沢山入れた紙袋を持って登校したのだった。
時は流れ、高校1年生になって、スイスに留学すると、現地高校に通い始めて3日目に、生まれて初めてマダガスカル人の友達ができた。キキは、いつでもどこでも真剣な顔でリズミカルに体を揺らしながら歌を歌っていた。耳を傾けてみると、ピーナッツの歌だったり、りんごの歌だったり、フランス語がまだ達者ではない私でもなんとなく理解できるような、でも同時に意味不明な歌ばかりだった。家に遊びに行った時、マダガスカル人のお父さんとボリビア人のお母さん、さらに弟達に会ったのだが、当時の私には、あまりにも多様性と刺激が強すぎて、とにかく賑やかな、不思議な家族だった。数ヶ月後、フランス語がもう少しわかるようになってみると、キキはほとんどの場面で冗談を言っていることに気がついた。知れば知るほど、不思議な友達だった。
そして大学4回生。船旅に参加することが決まってみると、あのマダガスカルが、航路に入っている。訪れるのは、Taolagnaroという島の南に位置する町。2日間の滞在のうち、1日目は児童養護施設を訪れるツアーの通訳、2日目は自然保護区を訪れるツアー通訳と、少しの自由時間が与えられた。
1日目の児童養護施設訪問では、子供達がマダガスカル語で話す内容を、先生たちがフランス語に訳し、それを私が日本語に訳す、リレー通訳が行われた。一方、とにかく元気いっぱいな子供達。言葉なんか分からなくても、日本からきたツアー参加者に興味津々、給食を一緒に食べながら、また施設のすぐ横の海岸で遊びながら、大人も子供も、砂まみれで走り回り、とにかく笑顔の多い1日だった。その一方で、貧困により子育てできないために施設に預けられる子供の多さや、貧困に連鎖する家族からの暴力によって施設にやってくる子供のケースについての説明があったり、政治的不安定さからくる社会問題などのテーマも参加者質疑応答で挙げられ、アフリカの一国であるマダガスカルの明るさと暗さ両面を見ることのできる有意義な訪問となった。
翌日、自然保護区に向かう途中の村では、子供達がバスで通り去るわたしたちに枝に乗せたカメレオンを見せびらかしており、かわいかった。ガイドさん曰く、観光客がこんなに沢山くるのは珍しいから、面白がっているのだろうと。動植物名等、聞いたことない単語が続出するため、かなりの集中力と疲労を伴う自然保護区の通訳。それでも、ごまんといる島の固有種の見物、植物にまつわる生態や、伝説など興味深い話満載だった。ランチは海が見えるレストランで、この地方名産のロブスターと、コブ牛の串焼き。さらにサモサとフランスパン。マダガスカルに限らず、隣のレユニオンやモーリシャスに関しても、南インドやさらには東南アジアの人々を取り巻く、インド洋交易があった。そのためか、例えばマダガスカル語とマレー語に似たような単語があったり、音楽や食文化など、意外なところで共通点が見られるようだ。さらにはヨーロッパによる植民地化。それは国民の多くが話すフランス語としてだけでなく、食卓に並ぶフランスパンや、教育制度など、いろいろなところに面影がある。そう思えば、アジアとヨーロッパとアフリカをごちゃ混ぜにしたような、マダガスカル。これまた新しい一面を知ることとなったのであった。
数年後、インドネシアで出会ったフィンチは、私は当たり前に現地人だと思い込んでいたのだが、しばらく話をしてみると、インドネシア在住のマダガスカル人だということが判明した。これは意外なところでの、マダガスカルとの新たな小さなつながりであった。
さて、去年の暮れ、久しぶりにスイスを訪れて、スイス留学以来、5年前にポルトガルと日本で再会したキキに、また会うことができた。27歳になった今も、出会った10年前と相変わらず、不思議な歌ばかりを口ずさんでいた。知れば知るほど分からないのは、キキだけではなく、マダガスカルという国でもなく、世界の全ての物事に共通する真理なのかも知れない。