時間がたっぷりある今、わたしは基本的に急ぐ理由がない。去年の暮にスイス旅行に行ったときも、たっぷり1か月滞在する予定で往復の飛行機を予約し、ジュネーブにある仲良しの友達のアパートに借りぐらしをした。
ところがスイスに着いて3日目、旅行者の義務となっている感染症テストをうけると結果は陽性。幸か不幸か、お医者さんとしてジュネーブ州内のコロナ緊急電話窓口で働くマリアマの家に滞在していたため、彼女が職場に連絡し、その日から在宅勤務に。隔離しながら、看病してもらう生活が始まったのであった。幸い熱が出た最初の3日を除き、症状は軽く、味と匂いを失った以外はほとんど元気だった私であるが、厳しいドクター・マリアマの目が光る中、キッチン立ち入り禁止、水を飲みたいときも小腹がすいたときも、その都度マリアマに持ってきてもらう完全な依存生活が2週間も続いた。
途中から、お互いさびしさを紛らわすため、オンライン会議アプリを使って、別々の部屋に居ながら一緒にテレビや映画を見るようになった。その中でも、特にわたしにとって新しい発見となったのが、ノリウッドの世界だった。
マリアマの両親は、どちらも西アフリカのギネア出身である。お父さんがスースー族、お母さんがプル族の出身で、これは別の国かと思うほど文化や言葉が異なると聞いた。そもそもプル族の女性が他の部族の男性と結婚することは、少なくとも当時はかなり珍しいことだったとか。若いうちにそれぞれ国を出た2人は、ヨーロッパで出会い、結婚し、マリアマが生まれた訳だが、家に遊びに行くとよく、お父さんが祖国での暮らしや家族のこと、子供のころの思い出やヨーロッパに来た時の苦労話などを話してくれる。マリアマの料理の腕はお母さん譲り。絶品の魚やユカイモ、鶏をつかったごちそうをお邪魔する度に準備してくれる、優しいお母さん。さつまいもの葉っぱを使ってできたソースだったり、ピリ辛のソースだったり、ココナッツ味のこともある。食欲と好奇心が同時にそそられるアフリカの味だ。
マリアマは小さいとき、遠足や学期末に撮影する、クラスの集合写真が大嫌いで泣いていたという。クラスで唯一肌が黒いために、きちんと光加減が補正されないと、大きな白い眼だけが浮き出てお化けのように写真に写った自分を見るのが嫌だったという。ある日転校生としてやってきたマダガスカルのキキに、「実はすごく救われた」と聞いたのは、少し驚いた。だって私が知っているマリアマは、胸を張ってアフリカを「家」と呼ぶマリアマだったから。しかし、スイスで生まれて育っている彼女は、両親の実家に帰っても親戚にヨーロッパから来たよそ者扱いされることもあり、葛藤は続いているという。
そんな彼女が私に教えてくれたのが、ノリウッド。アメリカ映画といえば「ハリウッド」、インド映画といえば「ボリウッド」だが、アフリカ最大の映画市場は、ナイジェリアの「ノリウッド」にあるという。
今回見た映画は、3人息子が誰も結婚せずに悩みを抱えるお母さんが、息子が早く結婚するように、「財産は、長男ではなく、一番最初に結婚をした息子に与えます」と宣言し、息子たちの小細工や嘘満載の結婚競争がはじまるというコメディだった。
最初の数分のみ、登場人物を見分けるのに苦労したり(編み込みヘアのゴリゴリ筋肉が主人公、と記憶したが、他にもいっぱいそんな人物が登場した)、英語のアクセントやナイジェリアのピジン英語独特の言い回しに首を傾げるシーンもあったものの、あっという間に慣れた。それよりも何よりも、見れば見るほど、実はハリウッド映画以上に、日本人の心に寄り添う部分が多いストーリー仕立てなのではないかというのが、私の初めて見たノリウッド映画に対する感想だった。
個人の自由や幸せが当たり前に基盤にありがちなハリウッド映画と違い、ノリウッド映画の登場人物は、結婚や交際を自分と相手の家族全体の関係と捉えていることや、あたりまえに優先される年功序列、ご先祖様への示しをつけること、またそれらに対する葛藤などが多く描かれていた。これらはどれも、日本の社会と比較して、共通する常識や葛藤である。もちろん、大胆なナンパなど、いかにもナイジェリアのステレオタイプな国民性を表すような要素もあり、全てが全て日本と似ているわけではない。ただ、一見すごく遠そうに思う国であっても、いくらだって身近に感じる要素は散らばっているものだな、と、スイスでコロナにかかってノリウッド映画を見たおかげで、改めて思ったのであった。
さて、そんなこんなで隔離の2週間からやっと解放されると、雪の中、山の中、畑の中、友達や家族に会いに、チーズを食べに、アクティブに動き回ったスイス旅行となった。毎度のことながら物価の高さに改めて仰天したのは言うまでもないが、ムスリム教徒であるマリアマにとって初めてのクリスマスツリーを一緒に飾り付けしたり、中には文字通り留学以来の10年ぶりに会う友人もおり、非常に感慨深いスイス滞在となった。