ニューヨークのタクシスタ

「ネフェルティティだねぇ。」

エジプトが好きな母は私が荷物を開けるとすぐに、金ピカのお皿に描かれた女性の横顔を見てつぶやいた。

その日、ニューヨークから荷物が届いたと母から連絡を受け、仕事帰りのその足で、駅から家の間にある母の営む喫茶店を目指した。荷物を開けると、中身はエジプトのヒエログリフや絵が描かれたパピルスが数枚。それに、ネフェルティティの肖像画が描かれた金属のお皿。送り主は、ニューヨークのタクシー運転手、ブシュラさんだ。

一人旅が大好きな私が、珍しく友達との旅行に出かけたニューヨーク。2019年12月26日。仕事納めのオフィスから、直空でそのまま飛行機に乗り、タイムズスクエアの近くのシェイクシャックで大学時代の同級生と待ち合わせた。一人は大学院の卒業旅行中でシアトルから、もう一人は私と同じく東京で社会人をしていたが、帰りのタイミングが違うために、それぞれバラバラに飛行機を予約したところ、3人で現地集合となったのだ。

クリスマス直後というだけあって、街はまだまだクリスマスムードが残っており、イルミネーションやツリーがあちこちで輝く。その一方、役目を終えたモミノキが道沿いに虚しく放り出され、ゴミ回収車を待っている姿もあちこちで見られた。何となくせわしく年末を迎える準備が進む、そんな数日間。年越しのニューヨークということもあってか、それとも普段からなのか、観光客や地元民やらとにかくどこに行っても人が多い。そして日本、東京の生活に慣れている私の目には、これはまさに「人種の坩堝」。どこに行っても、いろいろな肌の色、いろいろな言葉が飛び交う。

久しぶりの友達との旅行は、すごく楽しかった。一人では絶対行く勇気が出ないような老舗ステーキ屋さんに行くことだってできるし、なんせ、ベーグルだって、ピザだって、チーズケーキだって、ダイナーで食べる朝ごはんだって、ブルックリンのポーランド料理だって、3人いれば、少なくとも3種類を味見できるのだ。もちろん食べ物だけでない。ちょっとした発見や不思議なこと、綺麗な景色を一緒に共有できる人がいるというのはすごく面白い。私一人の眼で旅行している1人旅とは一味違い、今回の旅が生まれて初めての海外旅行だった新鮮な友達の眼と、他のアメリカ都市を回ってきた友達の眼、さらにはこれが2人とも建築学科出身となれば、また私は持たない目の付け所の発見も多々あり、本当に面白かった。

そんな数々の「1人旅ではできないこと」の中でも、特に私がニューヨークで満喫した時間、それは黄色いタクシーに乗る時間だった。思えば、新卒で会社に入社したての頃、何も考えずドアを手で開けて、後から上司に「日本のタクシーは自動でドアが開くんですよ」と助言されたほどだ。実際のところは海外で乗り慣れているから間違えたのではなく、海外こそ、基本はバスや電車。国によってはバイクタクシーやトゥクトゥク。そんな私が、ありとあらゆるハリウッド映画のように、ニューヨークでタクシーに乗るわけだ。

タクシーに乗り込んで、助手席に座ると、運転手さんの名前を見る。挨拶した時や、目的地を伝えた時の英語の訛りと、名前と顔から、何となくどこの人か想像しつつ、「元気ですか?今日の調子はどう?」と話しかける。私の自己紹介も軽くしながら、少しずつ質問を投げかけて行く。目的地まで、タイムリミットはせいぜい10分、長くて20分。この限られた時間の中で、タクシーの運転手さんと出来るだけ色々な会話をすることが、いつしか私のミッションのようになっていた。

プリンストンへ小旅行へ出かけるため、滞在していたジャージーシティの近所のダイナーから鉄道駅まで運転してくれたプエルトリコ人のホセさんは、教会を週に数回訪れる熱心なカトリック教徒だ。スペイン語で会話をしながら、バイリンガルであることによって彼がいかに多面的に物事が見れると感じているか、またそれがどのように異なる人や異なる状況を受け入れやすくするかを熱く語った。私に恋人がいないこと確認すると、「君のようにフレンドリーで知的な女性なら、必ずいつか神様がふさわしい人を連れてきてくれるから大丈夫」と。

メキシコ人のアンヘルさんは、20歳の時にメキシコを出て、ニューヨークで出会ったメキシコ人の女性と結婚。子供2人は自閉症で、何かとお金が掛かる。現在40歳だが、この20年間一度たりともメキシコに戻っておらず、家族にも会っていない。テレビ電話ができるとはいえ、やはり会いたい。でも旅費でせっかく稼いでいるお金を使うのは勿体無いので、それなら子供の養育費や、家族への仕送りに回す。別れ際、「全てがうまく行くように祈っています」と言って到着した滞在先のホステルでタクシーを降りると、「あなたにも、たくさんの幸運を」と丁寧に優しい笑顔で見送ってくれた。

そしてエジプト人のブシュラさん。バージニア州に長いこと暮らしてから、現在はニューヨーク州の最北端、ナイアガラの滝の近くに暮らしている。アメリカでタクシーの運転手として稼いだお金を、インドネシアで自分の機械部品工場を設立するために貯金している。アジアのいろいろな国を視察して、インドネシアに決めたのだとか。名古屋に遠い親戚が暮らしていて、日本に来たことがあり大好きな国だという。またいつか日本に行くかもしれないから、ということで、電話番号を交換して、車を降りたのだった。

そして数日後、ブシュラさんより「プレゼントを用意したんだけど、ナイアガラにいるなら届けるし、もうナイアガラに居ないならば、ニューヨークの滞在先を教えてくれたら送ります」と連絡がきた。元々短い旅のため、その日はすでに、日本に帰国する前日だった。伝えると、「もしよければ日本の住所を教えて」という。一人暮らし女子の住所を簡単に誰かに教えるのは良くないとどこかで直感的に警戒したのか、咄嗟に返信したのは母の喫茶店の住所だった。

それでも母からは「知らない人に住所を教えるなんてね」と呆れられ、何が届くかも想像もつかず、荷物を開けるまで相当ソワソワしたのだった。そして届いたのが、パピルスと金ピカのお皿だったのだ。

ブシュラさんにはその後、手紙を出してお礼を伝えた。その返事がきた頃には、「コロナ禍でインドネシアに行くことが難しくなり、工場計画は残念ながら白紙に戻りました」と書いてあった。

スペイン語で「タクシー運転手」を意味するタクシスタ。今日もニューヨークで、それぞれの家族や恋人、夢や計画を想って、人を運ぶ。限られた時間と閉鎖空間、それに、そこにある人生ドラマ。私は、またニューヨークに行く時には、ーそれがたとえ一人旅だったとしてもー、タクシスタの声を聞くため、きっとタクシーに乗るのだろう。

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