メキシコ嫁入り修行

船旅で立ち寄った中南米を、またぜひ訪れたいと思い立ったのは、せっかく身に付けたスペイン語を使ってもっと多くの人とコミュニケーションをとってみたいと言う気持ちがあったからだ。バルセロナの留学中に仲良くなった友達のメキシコのファン・カルロスやグアダルペア、グアテマラのヒメナ、ボリビアのカミーロにもせっかくだから会いに行こうと決めたのは、飛行機の片道切符を買ってから思いついたことだった。

メキシコ伝統のお盆、死者の日のお祭りを目当てにメキシコ・シティに到着したのは2017年、10月の終わり。ファン・カルロスの家族にお世話になりながら、数日の予定が数週間メキシコ・シティやその周辺の街を訪れて過ごした。軍隊で働くお父さんに、ユカタン半島出身のお母さん、それに小学生の弟ミゲルと、チワワの、4人1匹家族。優しいファン・カルロスの家族に甘えて、大都会だからこそ楽しめるメキシコ中のグルメを、食べて食べて食べて食べまくって過ごした数週間であった。

メキシコに到着してから、そういえば大学のサークルの先輩で休学して世界一周をした五井さんが、友達の友達を紹介してくれたことがあることを思い出した。彼女は確かメキシコに住んでいると言っていたような。久しぶりに連絡をしてみると、ちょうど他にも台湾から友達が遊びに来る予定があるけれど、ぜひ遊びにおいでと快く歓迎してくれた。

メキシコ・シティから南に向かって、他の街や友達を訪ねながら、ジェシカの暮らすオアハカ州に向かった。アメリカ人の彼女が、ラテンアメリカに恋に落ちたのは高校生の時だったと言う。その後アメリカの名門大学でラテンアメリカ学の学士号を取った後、コロンビアやメキシコなどで転々と色々な仕事をしながら、暮らしていた。私が訪れた当時、彼女は、オアハカ州の中でも「ど」がつく田舎で、メキシコ原産のとうもろこしやインゲン豆の、原種を守るシードバンクを村と共同で運営しており、待ち合わせ場所のノチシトランのバス停から、村人が当番制で運営しているコミュニティーバンに揺られ、日が暮れて真っ暗になった頃に、ジェシカとシードバンクの運営仲間ルーペ、それに台湾人のマンディと私の4人は、サン・ペドロ・ティダーの村に到着したのであった。

雄鶏の鳴き声と犬の吠える声に目を覚まし、携帯を見ると、時刻は朝7時。この村には携帯の電波は届いていない。ろばや牛に挨拶しながら、家から5分の畑へ。朝ごはんに、フルーツサラダを食べ、畑作業を開始する。この日は、とうもろこしを干して、乾いているものから種を取る。食べる分と種として保存する分を分けて、保存する分はラベルをつけて瓶に詰める。昼ごはんの時間になると、近所の子供が畑に来て、一緒にランチ。家では野菜が嫌いな子供たちだけど、ジェシカの畑ではたっぷりの野菜を食べるというので、ジェシカも喜んで受け入れるのだ。

「出来るだけ早いうちに、村役場に挨拶に行った方がいいから」というジェシカに連れられて、その日の午後に村役場に出かけた。外から人が来ることがほとんどない小さい村のため、見たことない人が歩き回ってると、村の人が警察や役場に通報することがあるのだそう。そんな場合に備えて、役場だけに限らず、事前に村の主要人物には挨拶し、把握してもらっておく必要があるという。来る前からジェシカが根回ししてくれていたこともあり、ジェシカと繋がりのある家族はすでに訪問のことを事前に知っていた。さらに、アジアからの訪問客はかなり珍しいということで、ジェシカが週に1度英語の先生としてボランティアをしている村の高校では、マンディと私の異文化交流会の企画がされていた。

緊張気味のジェシカに連れられ、マンディと私は村役場に足を踏み入れる。その日は村の会議があり、会議が終わるまで、会議室の外のベンチで待つことに。ジェシカには、「とにかく感じ良く挨拶ちゃんとするように」とだけのアドバイスをもらい、続けて、「スペイン語ができるさらさには、何か質問が飛んで来るかもしれない」と。

会議が終わり、一通り人が出て行ったところで、ジェシカを先頭に、マンディ、私が順に部屋に入る。部屋には、横一列に、口髭を蓄えた中年の男性が2人、それに1人のお爺さん、それから中年の女性が一人、並んで座っていた。その正面に向かい合うようにパイプ椅子を3つ、部屋に入りながらジェシカが並べつつ、「こんにちは、お忙しいところお時間ありがとうございます」とジェシカが丁寧に挨拶する。「まぁ、座りなさい」と言われ、席に着く。

ジェシカが簡単に、友達がアジアから畑と村を見学にきたこと、1週間滞在することを説明する。そして彼女の目配せに合わせて、マンディが「私の名前はマンディです、お会いできて光栄です」とだけ、覚えたてのスペイン語を披露。私は、「日本から来ましたさらさと言います。日本の農村で学生団体として活動していたこともあり、この1週間この村でどんな出会いや学びがあるか非常に楽しみにいています。訪問を受け入れていただき、とても感謝しています。」と、後から思っても、よくぞ準備なしの面接でスラスラ話せたもんだと思えるような、スムーズな挨拶をした。

中年男性の一人がそこで、「ゴホン」と咳払い。そして開口一番「わざわざアジアなどという遠くからこの村を訪れる人は少ないし、今まで聞いたこともない。そんな遠い地からわざわざ来てくれたというのは素晴らしい有難いことである。だがしかし!」

話を理解している私とジェシカの間に緊張が走る。

「たった1週間しか滞在しないというのは、非常に残念なことである。数日後には、高校で交流会も予定していると聞いているし、是非とも、」私の目をじっと見つめながら、彼は言う。

「是非とも、この村で男性を見つけて、結婚して、村に残ってください。」

思わず、他の審査員(?)の表情を窺う。女性はにこやかに頷いており、他の男性陣は腕を組んで斜め下を見ていて表情が読み取れない。確実に、私に向けられているこの言葉に、これは冗談なのか、笑うべきか、なんと返したらいいか戸惑いながら「はい、そうですね、できる限りやってみます」と真顔で答えていた自分がいた。

そんな流れであっという間に面接は解散になり、外に出るとすぐにジェシカに聞いた。「結婚の件は笑うべきだったのか、私の回答あれでよかったの?どう思う?」ジェシカは、「さらさの回答で、大正解。あれは冗談じゃなく、本気だったからね。」と笑顔で言う。マンディは「何、何、さらさは結婚することになったの?」と大きな目を見開いて、驚く。わたしは、「ふふふ、そうみたい。私は今23歳だけど、高校生、どうかな、若すぎるかな」なんて冗談を言い、3人で笑いながら、夕暮れの中、家に帰った。

高校での文化交流会の日。生徒たちの親まで集まり、とうもろこしでできた蒸しちまきのような料理、ピリ辛のお肉が入ったタマレスを用意してくれた。マンディが台湾の屋台料理の定番葱油餅を作る。私は、ツナマヨと細く切ったにんじん、卵焼きときゅうりの太巻き寿司。この日のために、メキシコ・シティからジェシカが海苔を買ってきてくれていた。途中から授業を抜けてきた高校生たちも一緒に太巻きを巻き、「将来寿司屋になる」なんて言い始めた男の子もいたりと、交流会は大いに盛り上がった。

それからは、朝起きると、畑へ。朝ごはんを食べて、女子4人、おしゃべりをしながら、草むしりや、種の収穫や乾燥の作業を一日する毎日が始まった。曜日によっては、午前中に村のとうもろこし臼が使えるため、食用にする分のとうもろこしを、前の晩に石灰とともに茹でて、粉挽き場に持っていく。挽いて出来上がった生地を2枚の板に挟んで薄く丸く伸ばし、コマルと呼ばれる大きな鉄板に載せて焼くと、主食であるトルティーヤが出来上がる。上手なトルティーヤが焼けることは、メキシコで嫁入りの条件として欠かせないポイントである。また、とうもろこしのトルティーヤとは別で、この村の女性が現金収入を得る手立てとして重要なのが、小麦粉のトルティーヤである。普段食べるとうもろこしのトルティーヤと異なり、柔らかい生地を手で薄く大きく伸ばして、焼き上げる。村の女性たちは、小麦のトルティーヤを作ると定期的に大きい街の市場へ行って、トルティーヤが全て売れるまで野宿をしながら現金を稼ぐのだそうだ。私はとうもろこしのトルティーヤは嫁入りできる程度には上手く焼けるようになったが、小麦のトルティーヤは何度か試してもどうも上手くいかなかった。

次回予告

そんなこんなで、畑仕事をしていると、あっという間に1週間が経った。その後、山を越えて反対側にあるルーペの村でお祭りがあったので、一旦ルーペの家族を訪れ、時間のある私は再びサン・ペドロ・ティダーに戻ることにした。果たして未来の旦那様は見つかるの、やら。乞うご期待。