エンパナーダ売りのハイメさん

2018年の元旦を迎え、考えていたよりもゆっくり過ごしたニカラグアを去り、隣の国コスタリカへ向かう。コスタリカでの目的は、首都に住む友人の友人、ブライアンを訪ねることのほか特に決めてはいなかったが、ニカラグアで偶然バスに乗り合わせて仲良くなったカミーラが、一足先にコスタリカ入りをしており、勧めてきた自然公園があったので、首都に行く前に寄り道をすることにした。

イールマ交差点で国境を越えてきた長距離バスを降り、1日に4本ほどしかバスが来ないモンテベルデ方面のバス停で木蔭に座ってじっとする。4本、と言っても、何時にその4本があるのかは、良く分からない。最後のバスが16:30だという噂は聞いたが、それも怪しい。ただ、バス停には私以外に他に3人ほど人が居たので、何かあれば彼らと車でも捕まえてたどり着けばよいだろう。万が一のことも考え、歩くことも検討したが、40kmの道のりは夕方から歩くには長すぎる。

木蔭でじっと、風を感じたり、本を読んだり、日記を書いたり、ほかのバスを待つ人たちが、どこからここに来て、これからどこへ行くのか、などということを話しながら、バス停に居る。
時たま、バスを待っているのではなくて、そこに居、その時間を過ごすためにバス停にいるのかと勘違いしてしまいそうになりながら、小枝を拾ったり、リスを探したりしてバスを待った。

バス停から広い道路を渡ったところに、小さな食料品店がある。気温は暑いし、のどは乾いたが、数時間に一本のバスを逃すのも嫌だった私は、何度も迷いながら、結局ずっと我慢をしていた。

そこへ別の路線バスに乗ってどこからともなく現れたのが、赤いクーラーボックスを斜めに掛けた彼だった。
「やぁ」と挨拶をしてきた彼に、わたしは「今日は何を売っているの?」と聞いた。
「押し麦のミルク、すいかのジュース、それからパッションフルーツのジュースもあるよ。」わたしは大好きなパッションフルーツのジュースがあるとわかって迷わずそれを、と思ったが、「一番のおすすめは?」と一応聞いてみた。「どれも家でつくってもってきているから美味しいけど、今日は押し麦のミルクがおいしく出来ているよ。」
「じゃあそれをひとつくださいな。」

張り切ってクーラーボックスから出してくれたそのミルクは、まだ冷たく冷えていて、ちいさなビニール袋の端を噛み千切ると、中からあふれる、ほどよい甘味が、喉を潤した。

嬉しそうなわたしを見て満足そうな彼は、バス停に居たほかのメンバーへ一通り声を掛けたものの、その日はそこでわたしの他から儲けを得ることはできず、わたしのもとへ戻ってき、いろいろなことを質問しはじめた。

どこから来たのか、どこへ行くのか、兄弟はいるか、好きなことは何か、結婚しているのか、コスタリカでは何を見たか。
そして質問の数と同じくらい、彼自身や彼の国についても教えてくれた。離婚した奥さんのこと、首都に住む2人の息子のこと、毎日寝る前にお祈りをすること、毎週日曜日は欠かさず教会に行くこと、このバス停にはよくものを売りに来ること、道での物売りのほかにもあれば仕事をしていること、コスタリカの自然の素晴らしさなど… 

そうこうしているうちにバスが来て、寂しそうな彼に頼まれたわたしは、電話番号と名前を書いた紙を渡した。

現れるか現れないか、期待と不安とともに待ちわびていたバスの登場に、6、7人ほどに増えていたバスを待つ人々はそそくさと乗り込む。わたしは、午後をのんびり過ごさせてくれたバス停と周りの景色に後ろ髪をひかれつつ、彼とバス停に別れを告げて、バスに乗り込んだ。

そして数か月後、そんなことも忘れかけるような、日本での慌ただしい春を過ごしていた。3月には帰国していた私は、4月からの新生活に向けて引っ越しや久しぶりに出会う友人との再会、嬉しくて楽しくてそしてたまに少し退屈する、そんな日常。

そんなある日、知らない番号から突然、電話が来た。

「もしもし、エンパナーダ売りのハイメですが、お元気ですか…。」


わたしは少し考えた。どこの、だれ?ハイメという名前は7年以上昔にスイスで知り合ったドミニカ共和国の男の子しか覚えがなく、彼とはもう帰国以来一度も連絡を取ってない。エンパナーダといえば、アルゼンチンの名物だけど、アルゼンチンでエンパナーダ食べたっけ?そもそもエンパナーダやさんと友達になった覚えは全くない。


「たぶん、間違い電話だと思います。」
そう言ってわたしは電話を切った。

数日後、わたしはふと、この間違い電話のことを考えていて、飲み物売りの彼の名前もハイメだったことに気が付いた。

ドキドキしながら、すこし緊張しながら、時差を気遣って彼が電話をかけてきたのと同じくらいの時間になるのを待って、この知らない番号へ電話をする。


「もしもし、先日この番号から、エンパナーダ売りのハイメ、という方から電話が来たのですが、多分その方が私に売ったのは押し麦のミルクじゃなかったかと思って、それで気になって電話しました。」
「あぁ。もちろんだよ、そういえばあの日は飲み物を売っていたんだ!君から電話をくれてうれしいよ!」

共通点もあまりない、年齢も離れたこの友人は、今では数ヶ月に1回は電話をし近況を報告する仲だ。


ある日彼は電話でこう言っていた。
「たった1回、1時間も一緒にいなかったかもしれないけれど、あの日バス停の君の笑顔をみたときから、君の明るいエネルギーが、本当に素敵だと思っているよ。」

きっと今日もハイメは、エンパナーダや飲み物をせっせと準備し、コスタリカのバス停を売り歩いている。