神に何語で祈ろうか

「神様に何語で祈ったらいいんだろう。英語かフランス語の方がいい?アラビア語でもいいのかな?」そんな質問を真面目な顔でされたのは生まれて初めてであった。思わず私は大爆笑。お腹を抱えて、息が苦しくなるくらいに笑ったのは、かなり久しぶりだった。

そんな不思議な質問をしたのは、私がエジプトに来た翌日に出会った、信じられないくらいおっちょこちょいなチュニジア人、セリムだ。

有名なギザのピラミッドとスフィンクスからほど近いカイロにいるうちに、ひとり、メトロと乗合バスを乗り継いで訪れるつもりでいた私は、宿のスタッフに行き方や周辺のおすすめの食堂などを確認していた。すると、その日エジプトに到着したばかりで同じ宿に滞在していたセリムも会話に加わり、カイロからタクシーで行っても安いということで、宿のスタッフが「明日2人で行けばタクシーも半額になるし、一緒に行けばいいじゃん」と発言したことにより、本人たちの意思とは無関係なところで一緒にピラミッドを目指すことになったのであった。そもそも片道500円くらいのタクシーではあるが、物価の安いエジプトでは500円もあれば結構豪華なご飯が食べられるのだ。その日は、ほんのちょっとだけセリムと話し、「なんとなく面白いし、良い人そうだな」と思って、その後眠りについた。

翌朝、宿の人も言っていた、「ピラミッドはとにかく混むから、8時台には出発したほうがいいよ」というアドバイスに従うつもりで7時半には起きて、宿のリビングで準備万端、読書などして過ごすものの、セリムは現れない。確かに、はっきり時間等を約束していたわけではなかったし、そもそも1人で行きたかったのかもしれない。そう思いながら、9時くらいまで待って、それでも現れなかったら出発するつもりで、ソワソワしていると、セリムが現れたのは8時50分。「ピラミッド、今日行くつもり?早めに出発したほうがいいって言ってたし、そろそろ出発しようと思うんだけど一緒に行く?」と確認すると、「一緒に行く」というので、待つ。やっと出発したと思ったら、「まだエジプトに来たばかりで現地のお金がない」というので、ひとまず街に出て地図を頼りに両替場へ。イスラムの国では休日である金曜日のカイロ。そこら中にある銀行は全て閉まっている。両替場は見つからず、休み関係なく観光客の多いピラミッドの周りなら多少レートが悪くても両替できるだろう、ということで、やっとギザに向かい始めた。ギザに着いたのは10時半、そこからピラミッドの入場券購入の、列とは呼べないような、人混みに飲み込まれ、なんとかチケットを手に入れたのが11時。のんびり歩き始めると、いろいろな人がセリムにアラビア語で何やら話しかけては、私達と一緒に写真を撮っていく。何やら聞いてみると、アジア人を珍しがった他のアラビア語圏からの旅行客たちが「奥さんと写真をとってもいいですか?」と聞かれるから、「どうぞ、どうぞ、でも僕も一緒に入れてください」と許可を与えていたらしい。男女ペアで歩いていると当たり前に、周りが夫婦だと理解するのもイスラム教の国らしいと思ったし、そこを否定せずに、写真撮影の許可を与えているセリムも、単純に面白いと思った。

ピラミッドでは、お目当てのギザ3大ピラミッド、そしてスフィンクス、思う存分見たら、ピラミッド1つ、カフラー王のピラミッドの中に入って見学。それから、エジプト在住のシリア人とパレスチナ人の若い夫婦とも知り合い、カフラー王妃であるメレス・アンク3世のお墓を4人で見学し、大満足。ここで、ガイドの「綺麗な日本人の奥さんがいて、いいですね」というお世辞に対し、初めて「昨日、宿で知り合ったばかりで別に結婚してないです」と応答するセリム。なんだかんだ、すごく良いやつなのが、この日色々おしゃべりをしながら、よく分かった。そして、おっちょこちょいなセリムとのエジプト珍道中が始まったのであった。

セリムは、チュニジアで2番目に大きい都市スファックス出身の3兄弟の末っ子。もうすぐ26歳になる彼は、ビジネスと国際貿易を勉強した後、ブルガリアでインターンをし、そして今はチュニジアのオリーブ栽培をデジタル化する、EU助成のプロジェクトの、現地スタッフとして、ヨーロッパ各地の大学研究室と現地のオリーブ農家のコーディネーションの仕事をしているという。いつも靴紐が片方ほどけていて、何度も私に注意されて、やっと結ぼうとしゃがむと、カバンから何かを落とす。それを拾おうとすると、別のものがポケットから落っこちる。絵に書いたようなおっちょこちょいなセリムは、見ているだけで可愛くて面白い。お母さんが、「エジプトの料理がまずいといけないから」と持たせてくれたという、お手製肉団子を缶詰にしたものや、チュニジアのキーホルダー、地元の老舗お菓子屋の菓子折りを何箱も、小さなリュックに詰めて持ってきて、出会う人に配っていた。とっても優しくて憎めない奴なのだ。エジプトとチュニジアで方言の違いはあれど、アラビア語ができるので、一緒に街歩きをすれば、地図に強く方向感覚のある私が道案内役、アラビア語が分かる彼が通訳や街行く人への質問役として、良い役割分担が自然に出来上がった。

ブルガリアにいる時からよく使い始めたという「カウチサーフィン」や「インスタグラム」など、ネットを通して知り合った人が多くいるということもあって、セリムと過ごす間、よく現地のエジプト人やエジプトに住む外国人など、いろいろな人とお茶やご飯に出かけた。また、2週間の休暇で来ていた彼は、ある程度予定も決めてあったので、何も決めていなかった私は彼に便乗して毎日のように一緒に過ごしたのであった。

エジプトは「アラブの国」というイメージの通り、確かに国民の9割はイスラム教。残りの1割は、というと、キリスト教。世界で最も古い大学のひとつ、アズハル大学、その近くの大きなアズハル公園のある丘を乗り越えるとその向こうには、「ごみの街」と呼ばれる、カイロの一番貧しい地域がある。そしてこの街の人口の大多数が、キリスト教徒である。公式のごみ収集システムのないカイロで、毎日3000トンとも言われるカイロ中のごみを、回収し、分別する。その全てを担っているのが、「ごみの街」に住むザバレーン(アラビア語で、“ごみの人“の意味)なのである。その人口は7万人とも8万人とも言われるが、驚くべきは、彼らのごみ収集はリサイクル率80%〜90%に登るという。もちろん、過酷な労働環境で子供から大人まで毎日10何時間もかけてごみを分別し、再利用やリサイクルなど使える資源に分けていくわけだが、世界でもこんなに高いリサイクル率は他に例がなく、いわば、「世界一リサイクル率の高いシステム」それがこのカイロの非公共のごみ収集なのだそうだ。ウィキペディアによれば、元々北エジプトから都市にやってきて貧しかった人が集まった地域で、最初は畜産をメインにしていたが、途中から1940年台から都市から大量に出るごみに目をつけ、今ではこの地域は家族経営のごみ収集業者だらけ。

カイロの街を歩いていると、よくすれ違いざまに「Welcome!」と言われる。おもてなしの心がすごくある、エジプトの人々。それは「ごみの街」のキリスト教徒たちも同じだ。歩いていると、ごみを分別している子供達や少年たちが、笑顔で挨拶をしてくれる。高く積み重なった分別されたごみの袋、薄暗く細い道、カイロの繁華街から徒歩で行ける地域にもかかわらず、ここではロバや羊が突然曲がり角からたくさん顔を出すことも珍しくない。薄暗い、汚い街角に最大警戒状態セリムをよそに、私は笑顔で挨拶をしてくれる住人たちに、笑顔で答えながら進んでいく。エジプトに来て10日目のことだった。20分ほど、この「ごみの街」を通り抜けると、中東で最大の教会が現れる。「洞窟教会」とも呼ばれるこの場所は、崖を削った洞窟の中にあり、2万人が収容できる大きなスタジアムのような美しい教会である。友人のおじいちゃんが危篤だというセリムは、ムスリムだけど、友人はキリスト教徒だし、ということで、ここで友人のために祈ることに。蝋燭を3本買ったと思ったら、私の元に戻ってきて真剣な顔で言うのだった。

「普段はお祈りと言えばアラビア語だけど、教会で祈る場合は英語の方がいいかな?それともフランス語?…まあどうせ同じ神だし、何語でも通じるかな?」と。冒頭にも書いたように、私は思わず吹き出してしまったのだった。

ご飯にならお金をケチらないけど、その分タクシーを使わず、たくさん歩いたり、割安なバスやメトロで時間をかけて移動するところや、行ってみたい場所の興味が合うこともあり、セリムとは、カイロとピラミッドだけでなく、シナイ半島へ一緒にモーセが十戒を授かったという山へ登ったり、ついでに近くのビーチを散歩したり、スーフィズムのダンス、タンヌーラを見に行ったり、他の友達も交えてご飯に行ったり、たくさんの楽しい時間を共有した。その度、いつも、彼は通訳人。私は道案内と、彼が落とす荷物を拾い、彼が転ぶのを予知する役に徹していたのであった。

ちなみに

セリムに後から確認したら、あの時は結局、アラビア語で祈ったそうだ。