歩くのが大好きな私は、ロンドンに暮らしていたときよくオックスフォード通りを、ホルボルンからソーホーを抜けてハイドパークまで歩いた。東京に例えるなら、恵比寿から渋谷を経由して代々木公園に歩くのと距離的にも、街並み的にも、そんなに遠くない。
この片道40分の散歩道だが、イヤホンから流れる音楽をストップし、耳を澄ませてみると驚く。なんせ、英語が全然聞こえてこない。聞こえてくるのは、ルーマニア語、中国語、アラビア語、イタリア語にスペイン語、ポーランド語、それにヒンディー語… 統計を見てみると、ロンドンの人口の1/3以上が外国籍だそうだ。それと同時に、海外からの観光客数も、毎年世界上位にランクインする、観光都市ロンドン。そうした観光客も多く集まる中心地であることを考えると、英語以外の言語を母国語として話している人が圧倒的に多いことにも納得である。
そんな国際都市ロンドンの、ハイドパークのすぐ近く、パディントン駅からそう離れてない地区で、ふと、看板がアラビア語だらけになる地区がある。レバノンの首都から名前を取って「リトル・ベイルート」とも呼ばれるこの地区には、レバノン人、エジプト人、イラク人など、アラブ系の人が多く暮らしており、銀行から食材店、薬局からレストランまで、とにかく「アラブな気分」を味わうにはうってつけの街である。
「広いシェアハウスに暮らし始めて、ちょっとの間なら泊まれるスペースがあるよ」という友達の言葉に甘え、ロンドンに1週間ほどのつもりで遊びに行った。ハイドパークはいつも訪れていたが、そんな近くにこんな場所があったなんて。夜遅くまでやっているアイスクリームやさんで、夜中にアイスを食べる濃い顔のお兄さんたち。ヒジャブを被った大勢の女性たちが、楽しそうにおしゃべりしながらテラスで水タバコを吸っているレストラン。店内金ピカの装飾でフルーツジュースとミントティーだけを出しているジューススタンドには、おじいさんと孫がいつも腰をかけている。食材店に行けば、なんだかわからないスパイスや、レジの前に山積みのバクラバ。レストランの前を通ると、炭火焼きの羊や鶏の美味しそうな香り。本家のベイルートには行ったことない私でも、思わず、ベイルートを知った気分になるような、ヨーロッパのイメージとはかけ離れた街並みが広がる。
遊びに行ってすぐ、他のシェアハウス住人への挨拶とお礼を込めて、夕食にお好み焼きと餃子をたくさん作った。大喜びした住人達は、半分冗談で「もっと頻繁に日本食を食べるべく、誰かを追い出してさらさを住ませよう」と会議を始め、「料理が一番できない住人」が追い出される候補として名指しされた。この彼は偶然この時期に転職活動をしており、私はひょんなことから履歴書添削を手伝うことに。私の厳しい指導のもと、作り直した履歴書で仕事が決まり、すぐに他の街で働くことになったのだった。大家さんには2週間前に告知しなくてはいけないが、仕事が決まって2日後には引っ越すことに。ちょうど私はその家に来て1週間が過ぎようとしていた頃のことだった。「どちらにせよ2週間分の家賃は払わなくてはいけないから」との厚意により、なんと彼の住んでいた陽当たりの良い部屋を丸っと2週間、私が乗っ取ることとなったのだった。1週間の予定が3週間半に伸びた、リトル・ベイルートでの借り暮らし。シェアメイトは、スペイン人、ルーマニア人、ドミニカ人それとブラジル人。ただしご近所はみんなアラブ系。アパートの掲示板の張り紙も、ゴミ置き場に捨てられる段ボール箱も、エレベーターの注意書き(カバー写真)も全てアラビア語。
アパートの玄関の目の前には、朝から夜まで、アラブなおじさんたちが5、6人パイプ椅子を持ってきてたむろすコーナーがあった。不思議なことに曜日や時間に関係なくいつもいつもそこにいる。雑誌や新聞を広げているおじさんの横で、他のおじさん達が何やら議論をしていたり、タッパーに入れたおつまみを分けながら、みんなでおしゃべりをしていたりする。この地区では、白人ですら若干目立つ。アジア人ともなれば、ほとんど居ないため、おじさんたちや、近所の食材店のお兄さん、ハイドパークへ繋がる大通りの小さなレストランのお兄さん、みんなあっという間に毎日早足で通るアジア人の私を認識し、目が合えば軽く会釈するようになっていた。
せっかくのロンドン暮らし。こんなに中心部のアパートなんて、びっくりするほど高くて、自分ではとても手を出す気が起きない。9月のロンドンはカラッと晴れる日も多く、公園の日向ぼっこも気持ちいい。私は毎日のようにせっせと、徒歩5分で行けるようになったハイドパークで朝読書、昼には家に帰ってランチと仕事をすこし、午後には公園に戻るか、ロンドンカフェ巡り、それに、夜になるとサルサとバチャータを踊りにお出かけするという、なんとも都会的な暮らしを満喫したのであった。
そんなある日、サルサを踊って夜少し遅く、家に帰ろうと、まだ賑やかなリトル・ベイルートを歩いていた。アパートのある少し薄暗い角を曲がろうとすると、パトカーの音が響いた。これは私にとって、いかにもロンドンらしい音であり、ーというのも、ロンドン市内の中心に居ると、一日中そこら中でパトカーがサイレンを鳴らして走っているのだー、あまりにも聞きなれてしまっているため、気がついてさえいなかった。「パトカーだぞ!パトカー!」という声が聞こえるまでは。
それは、いつも家の前でたむろすおじさん達であった。夜遅くに、薄暗い路地で、パトカーが来て慌てるようなことを彼らはしているのか。事件の匂いしかしない。それとなしに、鼓動が早くなる。怖いことが起きていたらどうしよう。引き返そうか。一瞬そんな考えがよぎるが、もうおじさんのたむろ場所からかなり近いところにいる。ここで急に踵を返して方向転換したら、すでに怪しい動きになってしまう。一瞬うろたえて速度の遅くなった歩むスピードを取り戻しながら、いつもより少しだけ距離をとりながら、おじさん達の横を足早に通り過ぎる。できるだけ、何が起きているか、見ないように、気づかないふりをして。
「パトカーがきた」という声で真っ先に隠れたおじさんが私の方を振り返る。思わず見た、彼の手に握られているのは、生米の入った袋。
イスラム教のコーランでは、食べる以外の目的で動物を殺したり、ひどい扱いをすることを禁じている。イスラム教で汚い動物だとされている豚に対し、鳥はピュアな動物だということもあり、鳥に餌を与えたり、世話をすることは、良いこととされているそうだ。その一方、ロンドンでは、地区によっては鳩に餌を与えることは条例で禁止されている。餌の量があまりにも多い場合は罰金もあるようだ。 動物愛護団体の力が強いイギリスだが、鳩に餌、特に人間の食べ物であるパンくずなどをやることは、鳩を病気にしたり、または自然界にはない大きさの鳩を生み出すこととなり、生態系を壊すことに繋がりかねないという。
おじさんの生米の袋は、1kgで、明らかに罰金対象の量ではないが。それでも律儀に、仲間でパトカーを監視しながら鳩に餌をやるおじさんたちに、私は思わず、ほっと、そしてほっこりしたのであった。