ラマイルチャ!アナンダチャ!

前回までのあらすじ

定時に仕事を終えたオフィスから、バンコク、カトマンズ、ラメチャップを経てついにヒマラヤの玄関、ルクラにやって来ました。詳しくは、「サガルマータが見たくて」「習近平とブランコ、そして綿あめの罠」へ。

ネパール語で「楽しい!」「気持ちいい!」を意味するこれらの言葉。ガイドのデンディさんに教えてもらってからというもの、ルクラ(2860m)から、カラパタール(5644m)、エベレスト・ベースキャンプ(5364m)まで歩き、山を降りるまでの10日間で、何度叫んだことだろう。

ルクラからの登山工程は非常にのんびりしたもので、高山病になりにくくするために、とにかくちょっとずつ登る。早く歩くのが好きな私にとっては、毎日3〜4時間だけ午前に歩くとあっという間にその日の宿泊地についてしまうため、最初は少し退屈に感じたのが正直なところだった。しかしその分、道に腰掛けて道ゆく人や牛を眺めたり、他の登山客と話したり、近くの丘に登って山を見ながら歌って何時間も過ごしたり、宿泊先の台所に入れてもらい自分の注文したご飯を一緒に作らせてもらったり等と、のんびりした時間の中に楽しみを見つけていくのは難しいことでは無かった。

山を歩きながら、何より驚くのは荷物を運ぶシェルパ族のポーターの強さである。これは本当に目を見張るものがある。シェルパとはネパール東部、ヒマラヤ山麓に暮らす少数民族で、ネパールに存在する何十もの民族の1つである。彼らは、山の案内人(民族の名前そのままとって、シェルパと呼ばれる)として、また生活必需品や登山客の荷物持ち(ポーター)として、広く活躍しているのである。20kg、30kgはあろう建設資材、家具や食料などを背中に積んで、つっかけサンダルで、携帯で音楽をかけたり友達や家族と電話をしたりしながら颯爽と4000m、5000mの山をスタスタと歩く姿はただただ圧巻である。私は一度、道ゆくポーターに、「荷物を持ってみたい」と無理矢理お願いしたところ、笑いながら了承してくれた。大喜びで300mほど先に見える村まで運ぼうと張り切ったが、荷物は1mmすらも持ち上げることができなかった。

思えば、4000m近くの村で、小さな子供たちは平然と走り回り、縄跳び、鬼ごっこなどをして遊んでいた。そんなところで育った彼らに太刀打ちしようなんて大間違いだったのだ。幸い高山病には全くならず、元気に登山を楽しんだ私であるが、村で子供とサッカーをした時は、さすがに息切れし、自らの身体能力の限界を知ったのであった。思えば、スタート時にはたくさんいた登山客も、標高が上がるにつれて、徐々に減っていき、最後の方には、同じ日程で歩いているはずの人々も1/10程度に減っていた。大きなグループで歩いている団体もいたが、すると一人でも高山病で調子が悪くなれば全体がストップするわけだ。そうした登山グループの中には高山病がかなり悪化して首都のカトマンズにヘリで搬送されたケースもあったと聞いた。そういう意味では私は本当に運が良かった。

さて、ヒマラヤの夜。それはつまり、星、星、そして星。空を埋め尽くす、満点の星。風の音もほとんどない真っ暗な夜に、寒さを堪えて星を見ていると、「ゴー」っと響く音がある。この静寂の夜に、美しい星空に、山の神様が怒っているのか?聞いたことのないその地響きに、私は恐怖を覚えた。聞いてみれば、それは、遠くからこだまして聞こえてくる、雪崩の音だそうだ。そんな雪崩の音を聞きながら、ふと、流れ星が見える。一つ、また一つ。山歩きをしながら、仲良くなったネパール人のカメラマン達が、「流れ星を3つ見ると、願いが叶うんだよ」と教えてくれた。こんなにたくさん見える流れ星、確かに1つだけで願いが叶ってしまうようでは、割に合わないんだろう。それでも、流星群の極大でもなんでもないその夜、ベースキャンプに一番近い宿泊地のゴラクシップ(5140m)で、私は数えきれない流れ星を見たのだった。

次回予告

お気に入りの村、クムジュンへ。そして山を降りてカトマンズで光の祭りティハールを満喫します。

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